藤井真

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

藤井真の紹介

藤井真 千里山教会 牧師

藤井真ふじいしん

千里山教会 牧師

1981年 静岡県静岡市に生まれる
2004年 京都産業大学文化学部国際文化学科卒業
2004年 神戸改革派神学校入学
2007年 神戸改革派神学校卒業
2007年~ 堺みくに教会の牧師
一時休職
2019年2月より千里山教会牧師

【趣味】
料理、読書、スポーツジム

藤井真の担当した放送(日付順)

ユーモアに生きよう

マルコによる福音書 7章27,28節イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」

幸せに生きよう

詩編 84編6~8節いかに幸いなことでしょう あなたによって勇気を出し 心に広い道を見ている人は。 嘆きの谷を通るときも、 そこを泉とするでしょう。 雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。 彼らはいよいよ力を増して進み ついに、シオンで神にまみえるでしょう。

走っても疲れない

ヘブライ人への手紙 12章1〜3節こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。

一緒に走りませんか

ヘブライ人への手紙 12章1〜3節こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。

扉を開けよう

ヨハネの黙示録 3章20節見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。

はじめとおわり

ヨハネの黙示録 1章8節神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

あなたのための日曜日

マタイによる福音書 11章28節疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

小さなものの好きな王様

創世記 1章1節初めに、神は天地を創造された。

ひとことで救われるエッファタ

マルコによる福音書 7章34節そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。

ひとことで救われるタリタ、クム

マルコによる福音書 5章41節そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。

子山羊か子牛か、それとも

ルカによる福音書 15章28,29節兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。

いなご豆かパンか、それとも

ルカによる福音書 15章13-17節何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。「父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。」

救われるポイント

ルカによる福音書 18章13節ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」

明日を生きる力

コヘレトの言葉 12章1,13節青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。[…]すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。

青春の日々にこそ

コヘレトの言葉 12章1節青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と言う年齢にならないうちに。

安心して休みましょう

詩編 23編1~3節主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。

主はわたしの羊飼い

詩編 23編1,4節主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。[…]死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。

神の愛は落ち着かない

詩編 113編4~6節主はすべての国を超えて高くいまし、主の栄光は天を超えて輝く。わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き なお、低く下って天と地を御覧になる。

クリスマスの美しさ

イザヤ書 53章4,5節彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

“なお”の由来なお望みを抱いて

ローマの信徒への手紙 4章18節彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。

“大”の由来わたしの魂は主をあがめ

ルカによる福音書 1章46~48節そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」

わたしたちは天の国の王子・王女

ペトロの手紙一 2章9節しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。

わたしたちは土の器

コリントの信徒への手紙二 4章7節ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。

振り向かれること、振り向くこと②

ヨハネによる福音書 20章16節イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

振り向かれること、振り向くこと①

ルカによる福音書 22章61,62節主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

神様からの贈り物

マタイによる福音書 25章14,15節天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。

時の贈り物

ローマの信徒への手紙 13章11,12節更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。

中途半端はイヤ!死を突き抜けるいのち

マタイによる福音書 16章13~15節イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」

中途半端はイヤ!断捨離よりも素晴らしい生き方

マタイによる福音書 19章21,22節イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。

キリスト入門②天の門と死の門

マタイによる福音書 16章18,19節「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

キリスト入門①狭い門と広い門

マタイによる福音書 7章13,14節「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

笑いが満ちる時

詩編 126編1,2節主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて わたしたちは夢を見ている人のようになった。 そのときには、わたしたちの口に笑いが 舌に喜びの歌が満ちるであろう。

神のまなざしの中にあるわたし

ルカによる福音書 18章13節ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」

その愛はほんものですか2

コリントの信徒への手紙一 13章4~7節愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

その愛はほんものですか1

ヨハネによる福音書 21章17節三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」

閉じこもるわたしの中に

ヨハネによる福音書 20章19節その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

生涯の日を正しく数える

詩編 90編12節生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。

もう泣かなくともよい

ルカによる福音書 7章13~15節主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。

しかし、勇気を出しなさい

ヨハネによる福音書 16章33節「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

静かにささやく声

列王記上 19章11~13節主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。 それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

静かにしていなさい

出エジプト記 14章13~14節モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」

キリストのまなざし

ルカによる福音書 19章5節イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

私の人生を記録してくださる神

詩編 139編16節胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから。

神様が奏でる音

詩編 40編4節わたしの口に新しい歌を、わたしたちの神への賛美を授けてくださった。

ここでしか聞こえない音

詩編 84編6~7節いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

最後に何を味わいますか

ペトロの手紙一 2章1~4節だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。 この主のもとに来なさい。

何を味わって生きていますか

ペトロの手紙一 2章1~4節だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。この主のもとに来なさい。

ハイジとキリスト教信仰その②悪を善に変えてくださる神様

創世記 50章19~20節ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」

ハイジとキリスト教その①ハイジの祈り

マタイによる福音書 7章9~11節「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」

たとえ夢が叶わなくても

ローマの信徒への手紙 14章7~9節わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。

本当の自分を知っていますか?

イザヤ書 43章4節わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。

すべてが益になる恵み

ローマの信徒への手紙 8章28節神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

驚くべき恵みがあなたにも

エフェソの信徒への手紙 2章5節罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、―あなたがたの救われたのは恵みによるのです―

大切なものは目に見えない

ヨハネによる福音書 9章6~7節こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

ぞうきんのように

ヨハネによる福音書 13章4~5節食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。

神とあなたが出会う場所

箴言 16章9節人間の心は自分の道を計画する。 主が一歩一歩を備えてくださる。

あなたに伝えたい最も大切なこと

コリントの信徒への手紙一 15章3~5節最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。

たとえ小さな者でも

マタイによる福音書 18章14節これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。

たとえすべてを忘れても

マタイによる福音書 1章23節「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

立ち直って生きられる

ルカによる福音書 22章32節しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

神さまからの応え

コリントの信徒への手紙二 12章9節すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

キリスト者から見た『家政婦のミタ』②神が与える微笑み

ヨハネの黙示録 21章3~4節そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

キリスト者から見た『家政婦のミタ』①愛に怖れはない!?

ヨハネの手紙一 4章18節愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。

しあわせを見つける旅へ

創世記 3章8~9節その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」

希望の星はあなたの上に

マタイによる福音書 2章9~10節彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。

転車台の上に

ローマの信徒への手紙 12章1~2節こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

たった一つの願い

詩編 27編4節ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう 命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで 喜びを得 その宮で朝を迎えることを

母の胎にある前から

エレミヤ書 1章5節わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に わたしはあなたを聖別し 諸国民の預言者として立てた。

神様からのたまもの

マタイによる福音書 5章4節悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

いつまでも残るもの

コリントの信徒への手紙一 13章13節信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

今は見える

ヨハネによる福音書 9章1~3節さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。 「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 イエスはお答えになった。 「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。

野に咲く花のように

マタイによる福音書 6章27~29節だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

いのちの深呼吸

ヨハネによる福音書 20章21~22節イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい・・・。」

私を変えた十字架

マルコによる福音書 15章21節そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。

今、ここにあるわたし

出エジプト記 3章14節わたしはある。わたしはあるという者だ。

後のものを忘れ 前へ!

フィリピの信徒への手紙 3章13~14節なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

喜びの音色

マルコによる福音書 1章14~15節ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

ここは広い場所

創世記 26章22節イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。

いのちにまさる恵み

詩編 63編4節あなたの慈しみは命にもまさる恵み。 わたしの唇はあなたをほめたたえます。

開かれた手で

ルカによる福音書 11章1節イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。

あなたの美しさ

マルコによる福音書 14章6~8節イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。・・・この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。」

あなたを忘れない

イザヤ書 49章14~16節前半シオンは言う。主はわたしを見捨てられた/わたしの主はわたしを忘れられた、と。女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを/わたしの手のひらに刻みつける。

大きい信仰

マタイによる福音書 15章27~28節女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

信仰のないわたしでも

マルコによる福音書 9章23~24節イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。

藤井真からのメッセージ

藤井真からのメッセージはありません