クリスマスと十字架
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。
新約聖書 ルカによる福音書 2章10節-12節
おはようございます。キリスト教会では、今日、イエス・キリストのご降誕をお祝いするクリスマスの礼拝がささげられます。今では、教会だけでなく、多くの場所でクリスマスが祝われるようになりました。ラジオをお聞きの皆様も、家族や友人、恋人と一緒に過ごしたクリスマスの良き思い出があるのではないでしょうか。クリスマスは天使が告げたように「大きな喜び」の出来事です。クリスマスの意味をよく知っているという人も、正直、あまり分からないという人も、とにかくクリスマスは、親しい人たちと集まって、喜び楽しみたいと願っている人は多いのだと思います。
しかし、一方で、クリスマスを祝う心の余裕などないという方もおられることでしょう。今年、悲しいこと苦しいことがあった。その心の痛みが完全に癒えていない方もおられることと思います。また、クリスマスのように周りの人たちが皆楽しそうにしていると、自分一人だけが取り残されたような気持ちになって、ますます憂鬱になってしまうということもあるでしょう。
以前、ご高齢の牧師の方が、このようなことをおっしゃっていました。あるキリスト教の雑誌に、「戦後最初のクリスマス」について、文章を書いてほしいと頼まれたそうです。他にも戦争を経験された何人かの牧師に同じ内容で文章を依頼されたそうです。しかし、あまりにも昔のことなので覚えていない。だから書けないと言って、皆、執筆を断られたそうです。それは単に昔の話だから記憶にないということではありません。クリスチャンであっても、多くの者が敗戦後の虚無感の中にありました。だから何も覚えていないのです。「やっと戦争が終わった。戦争がもたらす悲惨と苦しみからついに解放された。さあ、喜び祝おう!」そう言って皆、戦後最初のクリスマスを祝ったわけではないのだと言うのです。
しかし、幸いにも、その先生は戦後の深い虚無感、喪失感の中でささげたクリスマスのことをよく覚えておられました。その中でこのようなお話をされています。その先生が青年時代に通っていた教会の牧師夫人はアメリカ人でした。アイナさんという夫人です。当時、日本が敵としていた国の人でもありました。クリスマスが近づいた頃、ある男性の教会員が鉢植えのモミの木を「やっと手に入れた」と言って、持ってきたのです。アイナ夫人もアメリカから持ってきたデコレーションが入った箱を持ってきて、皆で飾り付けを始めるのです。戦時中は、ツリーに飾り付けができる雰囲気ではなかったため、皆喜んだのだそうです。決して、立派で華やかな飾りではありませんでした。古びた金銀の古いモール、地味な色をした古いモールでした。しかし、それでも皆喜んで、小さなもみの木に飾りをつけていきます。
最後にアイナ夫人は、英語で、「これが大事なの。」そう言って、箱の中からもう一つの飾りを取り出しました。誰もが期待したのはツリーの一番上に飾る金色の大きな星です。しかし、アイナ夫人が取り出したのは、木でできた褐色の小さな十字架でした。その十字架を静かに木の根元に置いたのだそうです。ほんの一瞬の出来事ですが、皆、黙り込んでしまったのだそうです。「その時の心の衝撃は忘れられない」とはっきりとおっしゃっています。その牧師の方は、戦時中、16歳の時に信仰を言い表し、クリスチャンになりました。それだけで、たいへんなことだったと思いますが、虚しさが支配していた戦後最初のクリスマスの出来事をとおして、また、木の一番下の根元に置かれた小さな十字架をとおして、私が信じている神とはどのようなお方であるのか。そのことを改めて心に深く刻むことができたとおっしゃっていました。
戦争もそうですが、私たちもまたそれぞれに深い悲しみの体験を知っています。虚しさの虜になることがあります。その時、私たちはどこを見たらいいのでしょうか。夜空の星を見上げるように、心を高く上げて、天におられる神様に心を向けることも大事でしょう。地上のことばかりに心奪われていては、何も解決しないからです。しかし、クリスマスの時にいつも思わされるのは、「心を下に向けてみよう!」そのように言うことができるということです。それは、ますます暗い思いに支配されるということではありません。うつむくように下を向きながら歩むようなことがあっても、真っ暗な闇の中で自分を見失うことがあっても、その一番下に、一番底辺にキリストの十字架があるということ。この事実を見つめるのです。
クリスマスツリーの一番下に、小さな十字架が置かれていたように、あなたの歩みのその底辺に十字架があるのです。そのお姿を飼い葉桶に寝ておられるイエス・キリストの中に既に見ることができます。あなたの罪を救い、虚しさや悲しみから救い出し、生きる喜びへと導くキリストの十字架が一番低いところに置かれています。救いの光は上から射し込むだだけではなく、下からも私たちを照らし出すのです。イエス・キリストがあなたのために来てくださいました。クリスマスの喜びがラジオをお聞きのあなたの上にありますように。