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「夢を解くヨセフ」のお話が、よかったです。

投稿者:
ケーキ
投稿日:
2022年10月16日 20時50分06秒

今朝の「夢を解くヨセフ」のお話は、私の心に響きました。

中でも、マティー君の書いた詩のなかにある、マティー君のママの言葉に、深いものがありました。
その詩の中には、マティー君のママのお腹の中にいた赤ちゃんが亡くなってしまったという、ママにとっても、マティー君にとっても、つらい現実である試練でした。そんな時に、ママが言ってた「小さな天使になって天国に導かれたその赤ちゃん」のことに、その奇跡に、とても悲しくっても、神様に感謝が出来て、神様に怒ったりしなかった。という、その内容を聞いて、涙が溢れてきました。
これは、すごいことだと思います。
どんなに大変な時にも、「神様と共にあること。神様を信じること。」そうなのですね。「私も、マティー君のように、そして、マティー君のママのように、そんな風になれれば良いな。」と思いました。

「騒音に苦しむ人」さんへ

投稿者:
スタッフ一同
投稿日:
2022年04月27日 21時49分20秒

書き込み、ありがとうございました。
長く続いていますね。心が痛みます。
止むことのない騒音に耐え続けるのは、心と体に大きな負担がかかりますね。
今晩少しでもおやすみになれますように、と毎日続けてお祈りしております。

祈りの要請

投稿者:
騒音に苦しむ人
投稿日:
2022年04月27日 02時41分09秒

いつもたくさんのお祈りを感謝いたします。また騒音で寝られません。お祈りをお願いしてもよろしいでしょうか。宜しくお願いします。

「騒音に苦しむ人」さんへ

投稿者:
スタッフ一同
投稿日:
2022年02月03日 18時59分12秒

掲示板への投稿、拝見いたしました。
毎晩のように、お隣の方の騒音のことで、辛い思いや恐い思いをされているのですね。
私たち「キリストへの時間」のスタッフも、心を痛めつつ、お祈りに覚えています。
不安や恐怖や怒りなど、様々な感情が心に渦巻いているかと思いますが、どうか主が平安をお与えくださいますように。
投稿にありましたように、悪の思いに支配されることなく、神様の御心がいつもあなた様の生活を守り導いてくださいますようにお祈りしています。

祈りの要請

投稿者:
騒音に苦しむ人
投稿日:
2022年02月03日 01時00分18秒

いつもお祈りありがとうございます。また騒音で寝られません。お祈りお願いいたします。

祈りの要請

投稿者:
騒音に苦しむ人
投稿日:
2022年01月31日 02時13分30秒

祈りの要請したいです。どなたか、祈っていただけないでしようか。隣人の騒音が酷くて、寝ていられないのです。毎日、毎晩、真夜中になると騒音が始まります。朝迄、酷い騒音なのです。部屋を探してますが、今なかなかどこも空いてません。警察も、管理会社もなにもしません。この間は、本当に身の危険を感じるような事がありました。隣人は私のことを怒らせて事件にでも持つていきたいと、考えているのかもしれないです。そんな悪魔の手に乗るわけにいかないので、どなたか祈っていただけないでしようか。真夜中なんですが、御願いします。

すけきよさんへ

投稿者:
キリストへの時間フォローアップ係
投稿日:
2020年07月25日 22時13分24秒

すけきよ様

ご質問のメールありがとうございます。

おっしゃるとおり、予定論は、改革派の重要な教理です。でも、これだけではちゃんとお答えしていないように思います。というのは、「予定論」といっても、理解する内容はさまざまであると思うからです。

そこで、私たちの理解をみじかくお伝えさせていただきます。
私たちが考える予定論は、救われる人と救われない人とを私たちが区別することを目的とするものではありません。
また私たちは、私たち人間の救いを、一種の運命論のように考えているわけでもないのです。
私たちはプロテスタント教会の一員として、私たちの救いが私たちの行為によらず、信仰によることをおぼえつつ、救いをもたらすのは神であることを、私たちの信仰の要点としています。予定論は、このことと強く結ばれています。つまり、ひと言で申し上げれば、私たちは、予定論を神の深い愛を表す教えとして理解しています。

拙いご説明がお役に立ちましたら嬉しく思います。

なお、予定論は、改革派にとって重要な教理であるため、この教理について記した文書も、書籍を含めて多くあります。改革派に属する私たち日本キリスト改革派教会も、予定論を主題とする文書「予定についての信仰の宣言」を作成しています。『日本キリスト改革派教会・宣言集』(一麦出版社、2016年)の中に収められています。ご参考になりましたら幸いです。
また、お近くに日本キリスト改革派教会がありましたら、どうぞ遠慮なく牧師に尋ねてみてください。

改革派と言えば・・・

投稿者:
すけきよ
投稿日:
2020年07月20日 22時18分08秒

改革派と言えば、予定説
神はすでに救われる人を決めておられるのだ、という
教理であると聞いた事が
ありますが、事実ですか?

「以前の投稿」の方へ

投稿者:
匿名
投稿日:
2017年06月09日 23時59分09秒

私も、いわゆる「神癒」というものを信じています。いろんな話は聞きますが、がん細胞が小さくなったとかの激変の出来事を聞くたびに、やはり神に出来ないことはないんだとの信仰が強められます。これを御利益信仰のように批判する意見もよく聞きますが、聖書の信仰にも益があるとされているし、それが病気からの回復であってもおかしなことはないと思います。聖書かあはずれるのは、それだけを目的とした態度とか、その奇跡的な業を売りにして布教して信者を集め、献金収入を得て教会を拡大しようとするあり方でしょう。永遠の生命を求めるということは、この世での生命を軽んじることではないはずで、同じく神から与えられた生命なので、この世でも長生きできるだけ長生きしようと、私は思っています。だからそのためには重い病気になり、医師からも見放されたら神癒の奇跡を祈り願います。この場合の奇跡とは科学の限界を超える出来事という意味で、単なる超常現象を意味してはいません。人間が単に物質だけで出来ているのではなく、物質を超えた霊によって造られていることを聖書から学ぶ以上、最先端の医学でさえ治せない病が祈りを通して、神のはたらきによって治るということがあっても何ら不思議ではないですよね。問題は、自分自身が末期がんで死亡宣告されるような状況になった場合に、実際問題として神癒をどのような形で求め、実現されることを望むかです。つまり、それなりのカリスマ牧師なりカリスマ司祭なりに来て頂いて祈祷して頂くのか、それともそういう特別な人ではなく普通の教会の兄弟姉妹に祈ってもらうのか、それともただひとり自分だけで病床で神に祈り続けるのか・・・。病気治癒のカリスマを持つ牧師や司祭に出会えるに越したことはないですが、そういうことにあまり関心を向けると所謂「カルト宗教」的なものにひっかかるリスクも高まるので、要注意ですね。やはり実際に限界状況になってみないことにはなんとも言えないことが多いです。その時になって聖霊により示されることもあるでしょうが、今の時点で私が思っているのは、少なくとも「新生、神癒、聖化、再臨」の「四重の福音」における「神癒」を重視する教会に身を置いていることだとは思っています。これを冷ややかに御利益信仰だとか言って侮る知性偏重の立場からは、けっして奇跡的な救いの体験は生まれてこないと確信するからです。以上は単なる私の意見にすぎませんが、人生の終末期にホスピスのお世話になるとしても、私はクリスチャンの一人として「神癒」を望み続けるだろうと思います。

すごくいいですね

投稿者:
ののじ
投稿日:
2017年03月28日 17時40分33秒

教会のホームページをいろいろ見てきましたが、メッセージが聖書の順番に並べられているのは初めて見ました。すごく見やすくていいですね。私が通う教会でも説教をHPに掲載していますが、こんな風になればいいのになぁと思いました。
教会HPで、こういうのは難しいのでしょうか。