立ち直って生きられる

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聖書の言葉

しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。

新約聖書 ルカによる福音書 22章32節

藤井真によるメッセージ

今、お読みした言葉は、主イエスがご自分の弟子であったシモン・ペトロという男にお語りになった言葉です。ここで、主イエスは、新しいペトロの姿を見ておられます。それは、「立ち直った」ペトロの姿です。同じように、主イエスは、今のあなたの中に、「新しいあなた」を見出してくださいます。今の自分では到底、思いつかない新しいあなたを見ておられるのです。それは、深い挫折から立ち直ることのできた、あなたの姿です。

ラジオを聞いておられる皆さんは、ご自分のことをどのように見ておられるでしょうか。これから先の自分の姿をどのように思い描いておられるのでしょうか。

ある人は、今の自分に満足しているという人もいるでしょう。これから先も、特に大きな心配もなく、何が起こっても私は大丈夫なのだと、自信を持って生きている人も多いかもしれません。

一方で、理想の自分とはずいぶん掛け離れてしまった今の自分を見てがっかりしている方もいらっしゃるかもしれません。将来の自分の姿が見えずに、不安が自分の心を占めてしまっているのです。

主イエスに見つめられたペトロは、これまで、いつも自信で満ち溢れて生きていたような人間だったようです。主イエスの12弟子の中でも、誰よりも忠実な弟子であり、ペトロ自身もそのことを自負していました。私は何があっても大丈夫。それがペトロの自己評価です。

でも、その思いは、数時間もしないうちに、見事なまでに崩れ去ってしまいます。「私は最後までついて行きます。牢に入って死んでも構いません」と命をかけてまで、主イエスに従うという決意を表わしながら、いざとなると、「イエスと私は何の関係もなかった」と言って、主イエスを裏切ってしまったのです。

聖書には、サタンがペトロをふるいにかけたからだと、記されています(31節)。ふるいにかけることによって、これまで見えてこなかった自分の中にあった本性が見えてくるのです。人間の心には色んな思いが交じりあっています。それらの思いを時と場所に応じて、上手い具合に使い分けて生きています。その中で、どれが本当の自分であるのか分からなくなってしまうことも少なくありません。

でも、サタンが私たちをふるいにかける時、自分の中に隠していた醜い思いが、いちばん見られたくなかった自分の闇が明らかにされていくのです。「お前は、自分のことを立派な人間だと言っているけれども、それは本当か。ふるいにかけて、試練に遭えばひとたまりもないのだ。すぐに神を捨てるに違いない」と。

また、ふるいかけられるとは、試練に遭うことでもあります。私たちの人生には思いがけないことがたくさん起こります。その時に、私たちはなかなか平常心を保つことができず、パニックに陥ります。自分が自分でいられなくなります。「こんなはずではなかった」「なぜこのようなことが起こるのか」という思いが、心の中で永遠にぐるぐると廻り続けます・

「イエスなんか知らない」と主イエスを裏切ったペトロは、鶏の鳴き声を聞いた時に、自分はとんでもないことをしてしまったことに気付きました。立派な人間として振る舞ってきたけれども、それは偽りの自分であることを知りました。そんなペトロを主は振りむいて見つめられたのです。そして、主イエスと目と目が合った時、主がかつて自分に語られた言葉を思い起こして激しく泣いたのです。

この時のペトロに対する主のまなざしは、「ほら見たことか、わたしの言ったとおりではないか。お前のあの自信はどこへ行ったのか」という叱責のまなざしだったのでしょうか。ペトロも自分を見つめる主イエスの瞳の中に、主の叱責の言葉を思い起こして泣いたのでしょうか。

私はそうではないと思うのです。もし、主のまなざしの中に、自分の罪を責める思いと言葉だけを見たのならば、ペトロはずっと立ち上がることができなかったはずだったと思います。「私は、イエス・キリストを裏切り、捨ててしまった人間だ」という呵責の中で、生涯、自分自身を見続けなければいけなかったことでしょう。

しかし、ペトロは、振り向いて自分を見ていてくださる主のまなざしの中に、主イエスが自分に語ってくださったもう一つの言葉を思い起こしました。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」。

主イエスは、裏切るペトロのことを知りながら、既に彼のために祈っていてくださったのだということに気付かされました。そして、このイエスというお方が、私のために苦しみを受け、十字架についてくださることを知りました。今は、自分の罪にただ涙を流すしかない自分だけれども、やがて、この主イエスの十字架のゆえに、必ず立ち直った人間として生きている新しい自分を見出すことができたのです。

神さまは、弱い自分、とりかえしのつかないことをしてしまうような私のことを、もう十分なほどに知っていてくださいます。しかし、そういう、いわば自分でも見たくないような自分を、神さまはずっと見続けておられるのでありません。

まさに、その罪の中から解き放たれ、立ち上がって生きている「新しいあなたの姿」を見ておられるのです。神さまが本当に見ておられるあなたは、主イエスによって祈られている人間です。

神さまが本当に見ておられるあなたは、神に愛され、罪赦された人間です。どうかこの主イエスの恵みに気付き、神さまのもとに立ち帰ってください。そして、新しい自分自身を見出していただきたいのです。

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