閉じこもるわたしの中に

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聖書の言葉

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

新約聖書 ヨハネによる福音書 20章19節

藤井真によるメッセージ

今、自分が居る場所から新しい一歩を踏み出すことができたならば、どれだけ素晴らしいことだろうか。そのような思いをずっと持ち続けている人は、意外と多いのではないでしょうか。目標や夢を実現して新しい自分になるために、一所懸命努力している人もいます。あるいは、今の環境に居ることが耐えられなくて、何としてでもこの場所から抜け出したいと思っている人もいるかもしれません。あるいは、過去の失敗や過ちを早く忘れて、新しい思いをもって生き始めたいという人もいることでしょう。

それだけ、新しい自分になるということは魅力的なことです。しかし、そう簡単に新しい自分を手に入れることができるとは限りません。志を高く持って、頑張ってみても、途中で挫折してしまうことがあります。過去の嫌なことをきれいさっぱり忘れてしまいたいと思っても、いつまでもその思いが心に絡み付いて離れないということもあるのです。そういう辛い経験を重ねるうちに、新しい自分への憧れは段々と薄れていき、ついには、今の自分の姿にあぐらをかき、そこに居座り、閉じこもってしまうのです。「今の自分の現実を受け入れることが大事なのだ」と言い聞かせて、一見、前を向いているようで、実は諦めてしまっている。そのようなことが少なからずあるのではないでしょうか。

十字架にかけられたイエス・キリストは、3日目によみがえられました。この大きな喜びの出来事をキリストの弟子たちは聞いていました。これまで、ずっと主イエスについてきた弟子たちです。主イエスの十字架を前にして、弟子たちは逃げ出してしまったのですが、そのような自分たちの罪を覆って、赦してくださるほどに大きく、豊かないのちで自分たちを包んでくださるに違いない。そう信じて、今まで自分たちが閉じこもっていた部屋から飛び出し、復活の主イエスにお会いし、その喜びを多くの人々に宣べ伝えに行く。それがキリストの弟子としてなすべき大切なことではないか。普通はそう考えるのです。

しかし、実際は、そうではなかったのだと聖書は語ります。恐ろしくて、部屋に鍵をして閉じこもっていたのというのです。主イエスを十字架につけたユダヤ人たちが、今度は、自分たちを捕まえに来るかもしれないという恐れがありました。それだけではありません。復活の主イエス御自身が、主イエスを見捨て、逃げ出した自分たち探し、その罪を裁かれるに違いないと思いました。罪と死に打ち勝たれたいのちに生きておられる主イエスによって、自分たちのいのちは簡単に握りつぶされてしまうのではないかという恐れに捕われたのです。恐ろしくて、外に出て行く勇気もありません。かといって、鍵をかけて部屋に閉じこもってみても、自分たちの心の中には、恐れがあり、罪が残ったままなのです。きっと、弟子たちが居た部屋の空気は澱んでいたことでしょう。声を出すことができないほどの重い沈黙が部屋の中を支配していたのではないでしょうか。

古代教会の指導者であるアウグスティヌスという人が、「魂の家」という祈りの言葉を残しています。このような祈りの言葉です。

「主よ、わたしの魂の家はとても狭いのです。

どうか広くしてください。

あなたがお入りになれるように。

わたしの魂は荒れ果てています。

どうか修理してください。

わたしの魂の家はあなたの目に、どんなにか醜く映ることでしょう。

わたしは、自分の魂の醜さを知っています。

それをきよめてくださるのは、主よ、あなたお一人です。

隠れた罪から、わたしをきよめてください。

自分でも知らない罪から、あなたの僕を救ってください。」

私たちは、魂の家、魂の部屋というものを持っています。問題は、今、その魂の家、魂の部屋がどのような状態になっているかということです。きれいに整理整頓されているでしょうか。きれいに掃除されているでしょうか。それとも、散らかしっぱなしになってはいないでしょうか。誰にも見られたくないものを部屋の片隅に隠してはいないでしょうか。アウグスティヌスという人は、自分の魂の家が、窮屈になり、荒れ果ててしまったその原因が罪であるということに気付きました。その罪の問題が解決されない限り、自分の魂は健やかになることはできないと言います。でも、その罪を自分の力で解決することはできません。だから祈るのです。「あなたがお入りになれるようにわたしの魂の家を広くしください。そして荒れ果てた魂を修理してください」と。

この祈りと重なる思いが、この時、部屋に閉じこもっていた弟子たちの中にあったことでしょう。正確に言えば、神様に祈ることができないほどの息苦しさに襲われていたのかもしれません。しかし、祈り求めることができないほどに苦しむ弟子たちのもとに、復活の主イエスは来てくださいました。頑丈な鍵をかけて、誰にも入って来てほしくないと思っていたとしても、復活の主イエスは私たちのところにやって来られるのです。主イエスが来ることができない場所はどこにもありません。復活の主イエスは、弟子たちに告げられます。「あなたがたに平和があるように」。主イエスは、弟子たちの罪を赦してくださったのです。

そして、復活の主イエスは、弟子たちにいのちの息である聖霊を吹き入れてくださいました(ヨハネ20章22節)。弟子たちは、新しい人間に生まれ変わり、主イエスから与えられた新しい使命に生き始めるのです。鍵を開け、部屋を飛び出していくのです。外の世界は、依然として色んな問題で満ちています。それらの壁に何度もぶつかり立ち止まってしまうことがあるかもしれません。息苦しい世界に我慢出来ず、再び部屋に閉じこもってしまうこともあるかもしれません。けれども、復活の主イエスは、いのちの息を与えてくださいます。そのいのちの息は、生きることを拒もうとするぶ厚い壁をも打ち破って、私たちのところに届くのです。

どうか、復活の主イエスが、今日もあなたのところに来てくださいますように。復活の主のいのちの息が、今日もあなたの歩みを支えてくださいますように。

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