“大”の由来

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聖書の言葉

そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」

新約聖書 ルカによる福音書 1章46~48節

藤井真によるメッセージ

たいへん個人的な話から始まって恐縮ですが、この6月に我が家に二人目の子どもが誕生しました。女の子でした。はじめてこの目で我が子を見た時、ありきたりな言葉かもしれませんが、とても小さく、可愛いなあと思わされました。小さな娘を抱っこしながら、そのいのちの重みをずっしりと感じました。

ところで、神様から子どもが与えられると、どんな名前を付けようかを考えます。名前というのは、そう簡単に決まるわけではなく、本当に悩むのですけれども、しかし楽しい時間でもあります。それで本日と来週は、キリスト者である私たち夫婦がどのような思い、また経緯で、我が子に名前を付けたのかを聖書の言葉とともに紹介したいと思います。

我が家に初めて子どもが与えられたのは、2015年の6月でした。予定日より2週間ほど早かったですが、無事に男の子が産まれてきてくれました。名前を「大」(だい)と名付けました。「大・小」の「大」です。「大きい」と書いて、「大」(だい)と言います。よく息子の名前を紹介しする時に、「ものすごい名前をつけましたね」と言われることがありました。きっと、「大物」とか「ビッグな人」になるようにという意味を込めて、親は「大」と名付けたのだと思われのたでしょう。確かに、我が子が成長し、やがて大人になった時、この世界に名を馳せる有名な人間、大物になってほしいという思いが分からないわけでもありません。我が子が与えられた喜びは、そのまま我が子への期待につながり、「こういう子になってほしい」という思いが生まれるものです。

別にそれは親のわがままでも何でもなくて、クリスチャンの親であっても「こういう子になってほしい」という願いは自然に生まれてくるものであり、その思いを我が子の名前に込めるということもあるでしょう。私の息子の「大」にはどういう意味があるのでしょうか。大物になってほしいという意味なのでしょうか。

「大」の由来になった聖書の言葉を最初にお読みしました。この言葉は、イエス様を産んだ母マリアが歌った賛美歌の一節です。「マリアの賛歌」と呼ばれます。十代前半の少女とも言えるようなマリアが、しかもまだ結婚していない身であるにもかかわらず、突然天使から「あなたのお腹には救い主が宿っています。」「その子をイエスと名付けなさい。」と告げられます。マリアは、今、自分に何が起こっているのかが分かりません。起こっていることを冷静に考えてみても、そこで自分に起こっていることは、到底受け入れがたいことだったのです。今まで積み上げてきたもの、例えば、婚約者ヨセフとの関係であるとか、これからの将来への期待であるとか、そう言ったものがすべて崩れてしまうような出来事を、マリアはここで一度に経験したのです。しかし、最後には、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカによる福音書1章38節)と言って、神様の御心を受け入れ、イエスの母になる信仰の決意に導かれていきました。

ところで、この「マリアの賛歌」は、ラテン語で「マグニフィカート」と呼ばれます。「わたしの魂は主をあがめ」という言葉がありましたが、この「あがめる」という言葉が、「マグニフィカート」という言葉に当たります。そして、「マグニフィカート」というのは、「大きい」とか「大きくする」という意味があるのです。神をあがめ、神を礼拝することは、大きくするということです。何を大きくするのでしょうか。自分を大きくするのでしょうか。いいえ、そうではありません。神様を大きくするということなのです。そこから息子の名前を「大」と名付けたのです。

私たちは、自分が大きいか、小さいかということにすぐ心奪われるものです。当然、大きい存在になって、自分の名をこの世に轟かすことができたらと、密かな野望を抱きます。逆に、小さく生きようとすることも、下手をすると、美徳の一つになってしまうことがあります。謙遜に慎ましく生きているつもりが、心の中ではずっと、「本当は大きな人間になりたかったのに…」という思いを抱き続けている場合も多いのです。

しかし、自分を大きくしたいという心の声に立ち向かうようにして、マリアは「わたしの魂は主をあがめ…」と歌い始めました。自分のことや他のことで心がいっぱいになる私たちですが、ただ神様だけが大きくなっていてくださる時、私たちはもう間違った仕方で自分の大きさにこだわる生き方から解き放たれます。あなたのことを本当に尊い価値ある人間として見ていてくださるのは神様です。そのことを教えてくださるために、救い主イエス・キリストを与えてくださいました。自分の中にある恐れや惨めさや罪によって、自分はこのまま小さくなって消えてしまうのではと思ってしまうところに、神は助けの手を差し伸べてくださいます。そして、しっかりとこの私のことを捕らえていてくださるのです。そこに私の救いがあるのです。

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