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聖書の言葉

人間の心は自分の道を計画する。

主が一歩一歩を備えてくださる。

旧約聖書 箴言 16章9節

藤井真によるメッセージ

日本の女性作家に三浦綾子さんという方がおられます。『氷点』『塩狩峠』など、たいへんよく読まれている小説を何冊も残されています。三浦さんは、元々、クリスチャンが大嫌いだったそうです。日本人が、外国の神さまを信じるのも変だし、クリスチャンはどこか堅苦しく、上品ぶっているようで気にいらならかったそうです。そんな三浦さんが、ある日キリストに出会い、キリストを信じるようになりました。そして、クリスチャンの視点から、人間を深く洞察した素晴らしい作品をいくつも残されたのです。

三浦さんはキリスト者になるまでは、小学校の先生として働いておられました。17歳という若い歳で、教師として働き始めるのですけれども、そこで大きな転機を迎えることになります。それは第二次世界大戦における日本の敗戦です。敗戦後、日本はアメリカ軍に占領され、占領軍の命令に従わなければいけませんでした。教育に関しても、様々な命令が下されました。その一つは、教科書の黒塗りです。国家主義や、戦争することを鼓舞するような文章はすべて墨で真っ黒に塗りつぶさなければいけなくなったのです。

手あかもつけてはいけないほど大切にさせていた教科書を、生徒自らの手で、黒く塗るように教えなければいけなくなりました。教科書の文字が、真っ黒な墨で消えいく様子を見たときに、今まで自分が生徒たちに教えてきたことはいったい何だったのだろうか。自分が情熱をもって教師として働いてきた人生は何だったのだろうかと、胸が締め付けられるような思いになったというのです。黒い墨で、教科書の一文字、一文字が消えていくたびに、自分のこれまでの歩みが否定されていくようで、耐えられなかったと思います。自分だけではありません。愛する生徒たち、子どもたちに間違ったことを、私は教えてしまった。生徒たちの幼い人生をも、この私がダメにしてしまったという罪責感にも苦しめられたのではないでしょうか。

間もなくして、三浦さんは教師を辞められます。そこで、すぐ新しい道を見出して、その道を切り拓いて進んで行くことができればよかったのですが、どうも上手く行かなかったようです。結婚を考えたものの、なんと二人の男性と結婚の約束をかわしてしまいました。人生の一大事である結婚でさえ、真剣に考えることができず、投げやりな態度しか取ることができなかったのです。色んな疲れが溜まってきたのでしょう。貧血を起こして倒れ、肺結核を患い、二年もの間、療養生活をしなければいけなくなったのです。毎日が、空しい日々で、何をしたらよいのかが分からなくなり、自分の死さえ考えたこともあったといいます。

そんな三浦さんにイエス・キリストを伝えたのが、幼なじみの前川正という医学生でした。彼もまた肺に病を負っていました。でも、前川さんはいつも三浦さんのためにお祈りをしていたのです。

「綾ちゃん、あなたが真剣に生きることを、ぼくは今まで神に祈ってきた。しかし、ぼくはあなたを救うことはできない。その不甲斐ない自分を、ぼくは責めているんです。」

涙を流しながら、三浦さんに訴えたと言います。自分を見失っていた三浦さんが、もう一度本当の自分を取り戻すことができるように、何度も何度も祈ってきた。でも自分ではどうすることもできない。そういう人間の愛の限界を経験することが私たちもあることでしょう。でも、三浦さんは、そこまで自分のことを心配してくれて、涙を流すほどに祈ってくれる人が、こんなに近い所にいてくれたのだ。その深い愛に触れ、その中で、自分の罪をさらに深く知ったのだと思います。そして、前川さんを背後で支え、導いている存在、つまりキリストとはどういうお方なのか.そのこと知りたくなり、教会に通い、やがて洗礼へと導かれていったのです。

最初にお読みした聖書の言葉「人間の心は自分の道を計画する」とありますように、私たちも、仕事のこと、結婚のこと、家庭のことなど様々な人生設計を心の中で思い浮かべていることでしょう。でもそこにこれまでの価値観を大きく転換するような出来事が起こります。教科書を真っ黒に塗りつぶさなければならなかったように、これまでの自分の人生を真っ黒に塗りつぶしたいと、自分の罪に苛まれたり、自分がこれまで歩んできた道は何だったのかと途方に暮れて、将来を見渡すことができなくなることもあるかもしれません。

でも、その人間の道に、主イエス・キリストが来てくださったのです。ある人が次のようなことを言っていました。

「神の道が私たちの道と交差するところ、そこにキリストの十字架がある。」

イエス・キリストに出会う時、人は自分の道の傲慢さ、愚かさを知ります。十字架の前で、自分の人生に本当の意味で負けを認めることができます。でも、そんな私を愛し、赦し、立ち上がらせるために、イエス・キリストは十字架について命をささげてくださったのです。滅ぶ身であるはずの私はもうここにいません。代わりに主イエスが十字架の上におられるのですから。神さまとあなたが出会う時、そこにキリストの十字架が確かにあります。十字架の上から、差し込むキリストの光が、私たちの真っ黒に塗りつぶされた道を照らし、祝福へと導くのです。疑い惑う私たちに、十字架で死に、復活した主イエスご自身の方から近づき、一緒に歩みを始めてくださるのです。

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