信仰のないわたしでも

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聖書の言葉

イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。

新約聖書 マルコによる福音書 9章23~24節

藤井真によるメッセージ

「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」ひとりの父親がイエスさまに向かって叫んだ言葉です。自分の息子が幼い頃から、悪霊に取りつかれ、病にかかり苦しんでいたのです。イエスさまにお会いすることを心待ちにしていた父親は「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と叫びました。しかし、この父親の言葉には、とても不思議な部分があります。父親は「信じます」と口にしているのですけれども、そのすぐあとに「信仰のないわたしを」と言うのです。

普通でしたら、「私は信じます。『だから』助けてください」というふうに、「だから」という言葉を付け加えて、お願いするのではないでしょうか。しかし、父親はそのようには言いませんでした。「私はあなたを『信じています』。でもわたしには『信仰がありません』」というふうに、矛盾した言葉を口にするのです。父親の「信じます」という言葉は、彼が一切の疑いを乗り越えて、信じ切ったということではありませんでした。父親は必死に主に助けを求め、困難な状況の中でもなお信じようとしています。でも、本当のところ自分には信仰がないのだと言うのです。

ところで、父親は「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と叫ぶ前に、次のようにイエスさまにお願いをしていました。「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」。これもたいへん興味深い言葉です。「おできになるなら」「できれば」と言うのです。父親は今まで息子を病から救うために、一所懸命になって生きてきたことでしょう。しかし、何一つ聞き入れられなかったのです。そういう中で、彼自身も傷を負い、諦めの心が彼を支配していたのかもしれません。今、イエスさまにお願いしたとしても、もし聞き入れられなかったら、傷はさらに広がるばかりです。もう、これ以上、自分は期待を裏切られたくない。そういう思いもあったのでしょう。「できれば、助けてほしい」「できれば…」そう言って、自分の心の思いを隠すことなくイエスさまにお願いをするのです。

しかし、イエスさまは父親の心の中にある「できれば」という思いを取り除こうとなさいます。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」そう仰るのです。イエスさまは「信じる者には何でもできる」という信仰の信頼の中に、父親を、そして私たちを招こうとしておられます。

父親は「『できれば』と言うか」と問われた時、改めて自分自身のことを見つめます。そこで気付いたのは、やはり自分は、「『できれば』助けてください」としか言えない不信仰な者であるということです。「イエスさまは、私に信じろというのだけれども、いったい何を手掛かりに信じればよいのか分からない。信じることなんて無理なことだ。」それが正直な思いでした。

けれども、父親は「もう仕方がない。諦めるか」と言ってイエスさまの前から立ち去ったわけではありませんでした。信じることのできない自分をまるごと主に投げ出すようにして叫ぶのです。「信じることのできないわたしを助けてください。」ここにまことの信仰が生まれました。

「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」だれひとりとして、この言葉が必要でない人はいないのです。事実、この言葉は、教会の歴史の中で人々から愛されてきた信仰告白の言葉、祈りの言葉となりました。人々から愛されてきたということは、この私もこの父親と同じ思いになったことがある。同じ言葉を口ずさんで信仰を重ねてきたということでしょう。信仰を求めている人だけではなく、既に信仰に導かれている者たちも、信じることのできない状況に陥ってしまう弱さと罪を抱えているのです。でも、そんな私たちがどうして信仰生活を歩み続けていくことができるのでしょうか。それは「信じます。信仰のないわたしをお助けください」という御言葉が聖書に記されているからなのです。私たちが信仰生活を重ねれば重ねるほど、分かることのひとつは自分の罪深さです。しかし、信じることのできない自分の罪深さに気付く時、私たちは何の言葉も口にすることができないというのではありません。信じることのできない中でも、「信じます」と言えるのです。「お赦しください、お助けください」と神に向かって叫ぶことができるのです。そういう信仰を神さまは与えていてくださるのです。

神さまは、信じることにおいて弱い私たちを決して見捨てたりはしません。「わたしのことを信じることができないのだね。じゃあこの言葉を口ずさんだらよい。」そう言って「信じます。信仰のないわたしをお助けください」という信仰の言葉、祈りの言葉を、神さまはいつも与えてくださいます。

だから私たちは「信じます。信仰のないわたしをお助けください」という神さまへの告白を、心から言えればもうそれでよいのです。なぜなら、そういう私たちを神さまは救おうとなさるからであります。「信仰のない者の救い」こそ、神さまの救いなのです。

私たち自身は、確かなものではありませんし、神様を信じる思いも、常にふらふらと定まらないかもしれません。疑いも尽きないかもしれません。しかし神さまは、信じることのできないわたしに対して、主イエス・キリストの中にある確かな救いを願い求めていく信仰を与えてくださいます。信仰のない者を救ってくださる主イエス・キリストを信じること。その信仰こそ、まことで確かな信仰なのです。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」この言葉を、口ずさみながら、この週も歩んでいきましょう。

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