いのちの手応え
生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。
旧約聖書 詩編 90編12節
おはようございます。今日は12月28日。今年もあと4日で終わってしまいます。きっと多くの人が、「もう1年が終わったのか。あっという間だったなあ」と感じているのかもしれません。本当に時が流れるのは早いものです。私たちは、日々、様々なことに追われながら生きています。やらなければいけないことが、次から次へとやって来ます。しかし、時間が止まってくれるわけではありません。気づいてみたら、もう一年が終わり、新しい一年が始まろうとしているのです。
つい口にしてしまう「あっという間」という言葉。それは、ただ時間が流れる早さを意味しているだけではないでしょう。その背後には、「私の歩みは本当にこれでよかったのだろうか」「したいことが何もできなかった」という、どこか後悔に近い、嘆きのような思いが込められているのかもしれません。人生の節目を迎え、過去を振り返った時、喜ばしい出来事を数えることができる人もいるでしょう。しかし、それよりも、色んな失敗や過ちのほうがずっと心に引っかかっているという人もおられるのではないでしょうか。
また、自分が立てた計画通りに、私は人生を歩むことができた。やりたいこともたくさんやることができたし、十分に満足しているという人も、「死」という現実を前にした時、空しさや儚さ、あるいは、恐れに捕われる人もいることでありましょう。色んなものを手に入れてきたけれども、死によって、それらがすべて吞み込まれてしまうならば、いったい私の人生とは何なのだろうか。そのような深い問いを抱きながら生きている人もおられるのではないでしょうか。
先ほど、旧約聖書・詩編第90編にある御言葉をお読みしました。この詩を歌った詩人は言うのです。「生涯の日を正しく数えるように教えてください。」生涯の日を正しく数えるのであって、決して、間違った仕方で数えるのではありません。つまり、私の人生は何をしても、結局は空しいとか、儚いのだと言って、嘆きながら日々を歩むのではないのです。確かに、そのような思いに捕われることもあるかもしれません。でも、そういうところで、詩人が続けて歌っているように、「知恵ある心を得ることができますように」と言って、神様に祈るのです。空しさや儚さといった思いに、自分が押しつぶされそうになるまさにその時、「神様どうか知恵を与えてください。神様、あなたから与えられた知恵によって賢くなり、空しさに打ち勝つことができますように。そして、生きる喜びを見出すことができますように。」
ところで、先週はクリスマスでした。クリスマス物語の最後のほうにシメオンという老人が登場します。シメオンはたいへん信仰があつい人で、神の民イスラエルが慰められることを毎日祈りつつ過ごしていました。慰められなければいけないというのは、神の民が深い傷と痛みを負っていたということです。それは、人々が神様のことを見失ってしまったがゆえに生じた罪と死の傷だったのです。だから、その傷を癒やし、慰めるために来てくださる救い主を、シメオンはずっと待ち続けていたのです。痛みを抱えながら、ずっと待ち続けるということ。それはとても厳しい日々だったに違いないと思います。それこそ空しさや儚さを覚えてしまうようなことであったかもしれません。しかし、そのような厳しい日々の中に、確かな望みがありました。「救い主と出会うまでは絶対に死なない」というお告げを神様から受けていたからです。そして、イエス・キリストがお産まれになったクリスマスの出来事から40日経った時、シメオンはついに神殿で幼子イエス様とお会いすることができたのです。
シメオンは、イエス様を腕に抱きながらこのような歌をうたいました。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。…」(ルカによる福音書2章29,30節)
救い主イエス・キリストと出会うというこの一点において、彼の人生の目的は頂点に達し、すべてにおいて満たされたのです。それは、「私は安心して死ぬことができます」と言えるほどに、確かなものでもありました。生涯の日を正しく数えることができるようになるために、神様は確かな知恵を与えてくださいました。それはイエス・キリストそのものでありました。イエス様は人間なの中にある究極の空しさ、儚さを背負って、つまり、あなたの罪を背負って十字架で死んでくださいました。そして、復活してくださったのです。だから、このお方と共に生きる時に、あなたもまた死に勝ついのちの望みに生きることができるのです。
この一年、どのような一年だったでしょうか。やり残したことがたくさんあるかもしれません。まだ悲しみが癒えないという方もおられるでしょう。今の自分に自信が持てなかったり、自分の死を含め、将来のことがとても不安だという方もおられるでしょう。けれども、そのような生活の只中に、イエス・キリストが生まれてくださいました。そのイエス様が、どのような中にあっても、なお賢く生きる術を教えてくださり、いのちの手応えを日々感じながら生きる道を拓いてくださったのです。来年も、ぜひ、ラジオ「キリストへの時間」をお聞きください。神様が聖書の言葉をとおしていつもあなたに話しかけてくださいます。生きる喜びがここから始まるのです。祝福を心からお祈りします。