ひとことで救われる

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聖書の言葉

そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。

新約聖書 マルコによる福音書 7章34節

藤井真によるメッセージ

聖書には数え切れないほどたくさんの言葉が記されています。クリスチャンとして歩みを重ねていきますと、自分が好きな聖書の言葉が少しずつ心に蓄えられていきます。とても幸いな経験です。ところで、キリスト教会が生まれた頃、クリスチャンたちはいったいどんな聖書の言葉を愛していたのでしょうか。まだ、聖書という書物が一冊にまとまっていた訳ではありませんでした。アンケート結果のようなものが残っていればいいのですが、残念ながらそのようなものはありません。けれども、一つ手掛かりになる言葉があるのです。おそらく、最初の教会の人たちが愛したであろう御言葉があるのです。それはイエス・キリストがお語りくださった言葉です。イエス様は恵みに満ちた言葉をたくさんお語りくださり、「福音書」と呼ばれる書物に、その言葉が記されています。

その中でも教会の人々が愛した御言葉があります。長い言葉ではありません。短い言葉です。たったひとことです。それは、「エッファタ」という言葉です。魔法の言葉、呪文の言葉ではありません。「エッファタ」というのは、日本語に訳すと「開け」という意味です。新約聖書はギリシア語で記されていますが、丁寧に読んでいくと、所々、ギリシア語ではない他の国の言葉が記されています。「エッファタ」という言葉もその一つです。「エッファタ」というのは、アラム語で「開け」という意味なのです。イエス様が日常生活の中で口にされていた言葉です。それにしても、この福音書を書いたマルコという人はなぜイエス様の言葉をギリシア語に訳さず、イエス様がお語りになった肉声を、声の響きをそのまま書き留めたのでしょうか。それはとても単純なことで、教会の人たちがイエス様の「エッファタ」という言葉によって実際に慰められ、救われた経験をしたからです。このイエス様のこの言葉があったから、私は救われた。どんなに苦しいことがあっても、このイエス様のひとことがあるから私は生きていくことができる。そのイエス様の声の響きを、そのまま自分たちの心に刻みたいと思ったのです。それが、「エッファタ!」という言葉です。

では、「エッファタ」という言葉を、イエス様はどのような場面でお語りになったのでしょう。ある日、イエス様のところに耳が聞こえず、舌の回らない人が連れられて来られました。

声は出るには出るのですが、それがはっきりとした言葉になっていないのです。だから、人々はイエス様に癒していただきたいと願いました。イエス様は大勢いる中から、その人だけをご自分の前に連れ出し、真っ直ぐ向き合ってくださいました。そして、指を両耳に入れ、唾をつけてその人の舌に触れてくださいました。彼が長い間、苦しんできた痛み、その一つ一つに、丁寧に触れてくださったのです。

それからイエス様は天を仰いで深く息をつかれました。「天を仰ぐ」というのは祈りの姿勢です。「深く息をつく」というのは、ため息をつくということです。また、嘆くこと、うめくことでもあります。イエス様はその人が病を患っているとか、障がいがあるとか、そういう事実を見つめておられただけではなく、その人の魂の奥底にあるものをご覧になり、言葉にできないうめきをもって祈りをささげてくださいました。そして、「エッファタ!」とおっしゃったのです。すると、たちまち耳が開け、舌のもつれがほどけ、はっきりと話すことができるようになったのです。

「エッファタ」というイエス様の言葉の中に、私たち人間が生きるうえで大切なメッセージが込められています。私たちの体のことを考えてみるとよく分かるのですが、病気になるというのは健やかな流れを閉ざされるということではないでしょうか。もし血液や酸素がちゃんと流れず、本来届くべきところに届かないと、いのちに関わる病気になってしまいます。だから、大きな手術をして健やかないのちの流れが回復することに努めるのです。しかし、心や魂が閉じてしまったなら、どうなってしまうのでしょうか。神様に対して心を開くことができなくなってしまったなら、どうなってしまうのでしょうか。ますます孤独になり、余計に心を閉ざしてしまうことでしょう。ますます卑屈になり、自分と人を呪うような言葉しか口にすることしかできなくなるでしょう。それを自分の力で治すことはできないのです。

しかし、その閉ざされた心に向かって、「エッファタ!」と祈りを込めて語りかけてくださるお方がいます。それがイエス・キリストです。その時にはじめて、神様からいのちを与えられた人間として聞くべき言葉を聞き、語るべき言葉を語ることができます。神様を心から信頼する祈りの言葉であり、賛美する言葉です。そして、あなたもまた、「エッファタ」というイエス様がお語りになった言葉を口にしながら生きることができると聖書は告げているのです。「私の耳を開いてください」「私の唇を開いてください」と祈りつつ、心を神様に向けることができます。その祈りを神様は確かに聞いてくださるのです。私たちを救うだけではなく、神様を信じるための言葉がここにあります。「エッファタ!」「開け!」

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