あなたに伝えたい最も大切なこと

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聖書の言葉

最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。

新約聖書 コリントの信徒への手紙一 15章3~5節

藤井真によるメッセージ

私たちは、自分にとって大切なものを、それぞれ持っていることと思います。それは自分だけの宝であって、誰にも教えたくないという方もおられるでしょう。でも、この喜びを他の人たちに伝えることができたのなら、その喜びが何十倍、何百倍にもなるかもしれません。

「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」と、この手紙を書きましたパウロは語ります。私はあなたがたにとても大切なことを伝えた。でもそれは、自分で発見したものでも、新しく作り出したものでもない。私もまた、先輩たちから受け継いできたものなのだ。それをあなたがたに伝えただけなのだというのです。

陸上競技にリレー競走という種目がありますけれども、その時に手に持っているバトンを、次の走者に手渡していくように、あるいは駅伝で譬えると、タスキを次の走者に渡すように、大事なものを次の人から次の人へ渡していく。キリストの福音、つまり、イエス・キリストが私たちにしてくださった素晴らしいこと、喜ばしい知らせは、そのようにして、今日まで受け継がれてきたのです。

パウロにとって、またキリスト教会にとって最も大切なことは、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死なれたこと、葬られたこと、そして三日目に復活し、多くの人々に、そしてこの私にまでも主が現れてくださったことです。このことだけを覚えていれば、大丈夫、心配することはないと、人々を励ますのです。

ところで賛美歌に「主われを愛す」という歌があることをご存知でしょうか。私は子どもの頃からこの歌をよくうたってきました。子どもにも分かりやすい言葉で、キリストの喜びを伝えてくれるこの歌が、子ども心にとても深く染みわたったのです。今、私が仕える教会の男子会でも、今年この「主われを愛す」を日本語はもちろんのこと、英語や、曲のリズムを変えたものなど、色んなバージョンを用いて歌っています。いくつになっても、いい賛美歌だなと心を打たれるのです。この歌は、それほど難しい言葉が用いられているわけではありません。こういう歌詞です。

主われを愛す主は強ければわれ弱くとも恐れはあらじ

わが主イエスわが主イエスわが主イエスわれをあいす

私なりに言い換えるとこうなります。「神さまは私たちを愛してくださる。神さまが強いから、私は弱くても、恐いことはない。私のイエスさまは、私を愛してくださるお方。」

もともとは英語で歌詞が書かれているのですけれども、英語の歌詞を見ると、日本語と少し違う響きを聞き取ることができます。最後の「くりかえし」の部分だけですけれども、こういうふうに歌われています。

Yes ! Jesus loves me.

Yes ! Jesus loves me.

Yes ! Jesus loves me.

The bible tells me so.

英語の歌詞を読んでいて、ある独特な響きに気付かされました。それは、繰り返しの最後のところ、日本語では、「わが主イエスわが主イエスわが主イエス」と歌うところの冒頭に、それぞれ“YES !”“YES !”“YES !”という言葉を付けているところなのです。“YES”というのは、「はい、そうです」「そのとおりです」「本当です」という意味です。そして、この“YES”という喜びは、イエス・キリストが私たちを愛してくださることによって、私の中に生まれてくるものなのです。

ある人が重い病にかかり、自分の死を覚えて過ごしている日々のなかで、いつものように、この「主われを愛す」を歌って毎晩、眠りにつき、やがて安らかに天に召されていったという話を聞いたことがあります。死というのは、人間が最も弱さを覚えるときでしょう。死の恐怖の虜になってしまうこともあるかもしれません。あるいは自分の存在が消えてしまうことや、自分のこれまでの歩みがすべて否定されてしまうかのような思いに捕われてしまうこともあるのです。そういうとき、私たちは、自分の人生に対して、”YES”ではなくて、”NO”を自分に突き付けてしまうのです。

死を覚えるときだけではないでしょう。体が元気でも、心に疲れを覚えたり、大きな過ちや失敗をしたりすると、元気強く”YES”なんて言えません。自分を受け入れることはできません。こんな自分なんか嫌だ。こんな自分なんかいないほうがいい。そう思って、自分で自分に”NO”と言ってしまうのです。

しかし、そこでなお“YES”と言って、自分の存在を喜んで受け入れることができるのは、ただただ主の恵みによります。パウロも「神の恵みによって今日をわたしがあるのです」(一コリント15:10)と告白しています。神さまの恵み、神さまの愛によって、どんな自分でも受け入れることができるのです。たとえ、自分を受け入れることができなくても、神さまは、イエス・キリストのゆえに、あなたを赦し、愛し、受け入れてくださっているのです。このことをぜひ皆様の心に留めていただきたいのです。

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