神様からのたまもの

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聖書の言葉

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。

新約聖書 マタイによる福音書 5章4節

藤井真によるメッセージ

今日はクリスチャンの詩人である島崎光正さんという方を紹介したいと思います。島崎さんは、1919年にお生まれになり、81歳で天に召されました。彼の生涯については、『星の宿り』(筑摩書房)という自伝の中に詳しく記されています。

『星の宿り』・・・。とても素敵なタイトルです。「星」というのは、「わたしはこういう星のもとに生まれたのだ」というふうに、自分の「運命」を表わす比喩としてよく用いられます。でも、島崎さんにとって「星」は、「神様」を喩える言葉なのです。今までは、悲しみの星のもとに生まれた自分を憎んでいたかもしれない。でもそんな自分の上に、永遠に光り輝く神様の恵みが宿ってくださった。だから自分の運命も変わったのだと喜びをもって歌うのです。

確かに、島崎さんの生涯を見ると、色んな悲しみがあることに気付かされます。ひとつは自分のお父さん・お母さんとの別れです。彼のお父さんは医者として働いていましたが、治療した患者の病に感染して、すぐ亡くなってしまいます。島崎さんが生まれてすぐのことです。

そして、さらに大きな悲しみは、自分を産んでくれたお母さんを九州に残し、父の故郷である長野県片丘村(現、塩尻市)にいる祖父母のもとに連れ戻されることになったということです。このことは、お母さんにとってもたいへん厳しいことでした。半年後、お母さんは息子を引き取りに来るのですが、大人の事情というのでしょうか、結局、光正さんを連れて帰ることができませんでした。それ以来、お母さんと再会することは二度とありませんでした。島崎さんにとって、自分の目に見るかたちでお母さんに会うことができなかったことは、死ぬまで大きな影響を与えたのです。

また、島崎さんは大きな病を抱えておられました。母の胎内にいた時から、「二分脊椎」(にぶんせきつい)という、脊椎に重い障害を持って生まれたのです。それゆえに、下半身が不自由でした。足首が内側にそり返し、変形してしまう。だから、普通の靴は履けず、ゴム長靴を履き、松葉杖をついて通学しました。そのことがとても辛く、かっこわるく、情けなかったと言います。

このように、島崎さんは、本当につらい経験を重ねてきた人です。しかしそれ以上に豊かな出会いが与えられた人でもありました。特に忘れることのできない出会いは、クリスチャンで、小学校の校長であった手塚縫蔵(てづかぬいぞう)という人です。小学校2年生の時に、手塚先生から「自分らしくありなさい」という講話を聞きました。生まれながら障碍を持つ。絶えず周りからの侮辱の目にさらされ、自分自身でもどうにもならない足を引きずって、自分が、どうして、このような定めにあったのかということを、子ども心に辛く思っていた。その時に、「光正は光正らしく!この自分を受け入れて、お前らしく生きなさい」という先生の声が響いたのです。のちに島崎さんは手塚先生に導かれて、28歳の時に洗礼をお受けになりました。そして洗礼を受けた後も、多くの素晴らしい詩を残されたのです。

ここで島崎さんの詩を紹介したいと思います。私の好きな詩の一つで「わが上には」という詩をお読みします。

わが上には

神様

あなたは私から父を奪われました。母を奪われました。

姉弟もお与えになりません。

その上、足の自由を奪われました。

松葉杖をお貸しになり、私はようやく路を歩きます。

電柱と電柱のあいだが遠く、なかなか早く進めません。

物を落としても楽に拾えません。

乳のにおいを知りません。

母の手を知りません。

私は何時も雪のつもった野原に立っていました。

鳥の羽も赤い林檎の実も落ちてはいませんでした。

私は北を訪ねました。

けれども、知らない人は答えました。それは南であろうと。

私は南にゆきました。

また別の人が答えました。それは、北であろうと。

生まれてから三十年経ちました。

私は今、机の上にかさねたノートを開いてみるのです。

此処には悲しみの詩が綴ってあります。

神様

これがあなたのたまものです。

恐らくこほろぎの鳴く夜ふけ

母ある者は、布団の裾をたたかれ安らかに眠りについたでしょう。

妻ある者も抱き合いながら眠っていったでしょう。

母はふたたび起きてみるでしょう。

けれども、私は眠らずに覚めて書きました。

こんなにぎっしり

落花のように手帖を埋めました。

足ある者は、遠く旅立つひまに

私は更に埋めました。

おお幾歳月……

私の詩は琴のように鳴りました。

森のように薫りました、いたみは樹液の匂いを放ちました。

神様、これがあなたのたまものです。

『故園』(未来社)より

島崎さんは謳います。自分はすべてが奪われた。父も母も、自分の足さえも…。手帳には、それらの悲しく厳しい日々が綴られていると。しかし、それらの悲しみを神様の前で歌うことができたというのです。そして、そのことを神様からの「たまもの」として受け取り直しているのです。悲しみ多き日々の中に、琴のように美しく新しい音色が響いています。森の中に入ったように透き通った、甘い香りで満たされている自分を見出し、神に感謝しています。

また、ある本には、自分を辱めていたあの長靴のことは、「わたしの宝物」だと言っています。手術をして曲がっていた足が治り、もうゴム長靴を履かなくてもよくなったのですが、それを捨てることはできなかったのです。なぜなら、今まで労苦を共にしてくれた友人のように思えたからです。でも長靴を捨てられなかった本当の理由は、それだけじゃないのです。捨てられなかったのは、自分の履いていた長靴が、教会に通じる道を知っていたからです。

島崎さんは、毎週、長靴を履いて教会に通いました。重荷を引きずるようにして、神様のところに行きました。悲しみを抱えたまま、神様のもとに行きました。そして、そこで神に慰められたのです。私の長靴は、悲しみだけを知っているのではない。そんな自分を救い出し、慰めてくださった神の恵みを知っているのです。だから、私にとって絶対に捨てることなどできない宝物なのですね。

「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」主イエスのお言葉です。

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