はじめとおわり

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聖書の言葉

神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」

新約聖書 ヨハネの黙示録 1章8節

藤井真によるメッセージ

今日は1月1日、一年の初めの日です。今日から始まるこの1年、この放送をお聞きの皆様にとって、どのような一年になるのでしょうか。去年から決まっている予定もあれば、新しい計画を立てて歩み出す方もおられるでしょう。またある程度、今年の歩みについて見通すことができる方もあれば、少し不安だという方もおられるかと思います。今日は、一年の初めの日であると同時に私たちのこれからのこと、将来について見つめる日でもあります。

私たちは今日に限ったことではありませんが、いつも時間を気にして生きているところがあります。今がいかなる時であるのかを確認しながら生きているのです。そうしないと、たいへんなことになるからです。ですから、今がいつで、それゆえに、何をすればいいのかを確かめながら日々の歩みを重ねていきます。

興味深いことに、聖書の最初に記されている「創世記」にはこの世界の初めのこと。聖書の最後に記されている「ヨハネの黙示録」のにはこの世界の終わりの出来事について語られています。この世界の歴史にも、私たちの歩みにも初めがあり、終わりがあるのです。先程、ヨハネの黙示録の言葉を読みました。神様はおっしゃいます。「わたしはアルファであり、オメガである。」いったい何のことかと思いますが、「アルファ」「オメガ」というのはギリシア語のアルファベットでいう最初の文字と最後の文字です。英語で言えば、“A”と“Z”に当たります。「わたしはアルファであり、オメガである」というのは、神様のいのちにも初めと終わりがあるということではありません。神様は昔も今もこらからも永遠に生きておられるお方、まさにいのちそのものであられるお方が、この世界の初めから終わりに至るまで、私たちの人生の初めから終わりまで、その御手の中で支配してくださっているということです。

このヨハネの黙示録が書かれた時代は、90年頃だと考えられています。当時、「小アジア」と呼ばれる、今でいうトルコの辺りにあるキリスト教会の人たちは、ローマ帝国のドミティアヌス帝によって、厳しい迫害に遭っていました。将来のことを考えるゆとりなどありません。毎日が死と隣り合わせでした。「時が迫っているからである」(黙示録1:3)と聖書にありますように、迫害者たちの足音、死の恐怖の足音が日に日に迫っていました。

しかし、ヨハネは日曜日の礼拝の中で神様から示された幻を教会の人たちに手紙として書き送るのです。ヨハネの黙示録というのは、未来の出来事を予言する書物だと思われているところがあるかもしれませんが、それは大きな誤解です。黙示録は、苦しみと死の恐怖の中にある者たちに向けて書かれた、愛の手紙であり、慰めの手紙です。

人は将来のことについて、すべてが分かりませんから不安になります。たとえ、先のことが分かっていても、その事実、その運命を素直に受け入れることができるとは限りません。それにもかかわらず、私の将来やこの世界の将来について、人はああでもない、こうでもないと色んなことを話したがるものです。けれども、そういうところで、神様の前にひざまずき、沈黙して、神様の御声を聞こう!とヨハネは呼びかけるのです。

「時が迫っている」というのですけれども、それは私たちのいのちを脅かす力だけがすべてではないということです。自分の将来について何も分からなくても、「死」がやって来るというのは誰においても言える確かなことです。けれども、もっと確かなこと、しかも、私たちに喜びをもたらす出来事が与えられると神様は約束してくださっているのです。それは、終わりの日、今、天におられるイエス・キリストが再びこの世界に来てくださって、救いを完成してくださるという約束です。

時が迫っているというのは、イエス・キリストが今まさにこの世界に、あなたのところに来ておられる、迫っておられるというのです。将来、色んなことがこの世界にも、私の中にも迫って来るわけですが、もっと激しい仕方で主イエスが来てくださるのです。イエス・キリストは、あなたを愛してくださり、それゆえに十字架によって私たちを罪の奴隷から解放してくださったお方です。

そして、「死者の中から最初に復活した方」(黙示録1:4-5)なのです。死は私たちを呑み込みます。徐々に徐々に、いや時に一瞬にして私たちを呑み込みます。そして、死は何も生み出さないのです。まして、いのちなど生み出しません。しかし、十字架で死んでくだった主イエスは、死の力を打ち破り、まことのいのちとしてあなたの前にあるのだ。いや、そのいのちに今生きていると、人々を慰め励ますのです。だから、望みをもって、再び来られるイエス・キリストを待とう!神を礼拝しよう!と呼びかけます。

今日から始まる新しい一年、嬉しいことも、予期せぬことも様々なことが起こるかもしれません。けれども、初めも今も終わりも、すべては神様の愛の御手の中にあります。主イエスの恵みが、皆様の上に豊かにありますように。

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