わたしたちは天の国の王子・王女

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聖書の言葉

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。

新約聖書 ペトロの手紙一 2章9節

藤井真によるメッセージ

自分がどういう存在であるかを言い表す言葉はいくつもあります。この放送をお聞きの皆様も、「あなたは誰ですか」と聞かれたら、「私は○○です」と答えることができるのではないでしょうか。例えば、自分の名前や住んでいる場所、仕事の内容などを答えながら、自分が誰であるかを説明することができると思います。そこで大事なのは、当然かもしれませんけれども、それらの言葉に嘘偽りがあってはいけないということです。自分を説明するのに相応しく、正しい言葉を見つけなければいけません。

あるドイツの牧師が、日本の教会を訪れた時、最初にお読みしたペトロの手紙の言葉に導かれて、このような挨拶をしたそうです。「ところで私が皆さんのところにまいりましたのは、皆さんに、こう申したかったからであります。皆さんは、ひとりの王子以上の高い身分の位置についておられます。…おそらく皆さんは、ご自分が、どれほどの社会的身分を与えられているか、まだ正しく承知しておられないのではないかと思います。洗礼を受けられたら、天の国の王子、王女になっておられるのです。『王の系統を引く祭司』なのです。近づくことができない光のなかに住んでおられる、生きておられる神の傍らに近づくことができるのです。」とても興味深い挨拶です。その牧師は、教会員の方たちに向かって、「あなたがたは天の国の王子・王女」だと言うのです。「王子・王女」と言われて、何て思うでしょうか。小さな子どもならまだしも、大人になった人たちは、きっと笑ってしまうことでしょう。本物の王子・王女でない限り、自分たちがそのように呼ばれることは恥ずかしいからです。

では、本物の自分をどうしたら見つけることができるのでしょうか。大学教授をされていたあるキリスト者の方が、頼まれて新聞に文章を寄せました。「自分に出会う」という連載に、何人もの方が文章を寄せる中で、その方も依頼されて執筆したのだそうです。多くの人が、自分の失敗談を語り、そこからどう這い上がったか。そして、本当の自分を見つけ、本当の自分を生きるとはどういうことかを語りました。でも、その大学の先生は、面白いことに、「僕は本当の自分と出会うことなんか恐ろしくてできない」と言うのです。「自分探し」という言葉が流行った時期もありました。でも、自分と出会うことは、必ずしも嬉しいことだとは限らないということでしょう。なぜなら、見つけたくなかった嫌な自分、惨めな自分に出会ってしまうことがあるからです。そんな自分と出会ったところで何になるのだろうか。そこで自分で自分を救うことができるのだろか。いや、できるはずない。だから、本当の自分と出会うことなんか、恐ろしくてできない。

しかし、その一方でこのようにも語っておられます。「そんな私であっても本当に出会いたいと思うのは、この私に向けられている神の顔だ。その神の顔から放たれる光りのもとに立っている私とならば、かろうじて出会うことができるかもしれない。」私たちは、暗闇の中で自分を探そうとしているのかもしれません。でも、光がなければ、いつまでも自分を見つけることができないのではないでしょうか。光の中にあるならば、こんな私でも、本当の自分を見つけ、本当の自分に出会うことができます。私が私であることを恐がるのでもなく、目をそらすのでもなく、心から喜んで受け入れることができるために、神様は救いの光の中へと招き入れてくださいました。ペトロは言います。「あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。」

キリスト者は紛れもなく皆、「天の国の王子・王女」「王の系統を引く祭司」です。多くの人が想像するような、華やかで優雅な生活をしているわけではないでしょう。それこそ、どこにでもいるような人たちです。もしかしたら、世間ではそれほど目立たない人であるかもしれません。でも、神の光の中に招かれた人たちなのです。王の系統を引く祭司として尊い働きに生きる者たちなのです。

教会に生きる天の国の王子と王女たちは、祭司として何をしているのでしょうか。それは、神を礼拝することです。そして執り成しの祈りに生きることです。「神よ、あなたの光の中に、多くの者を招いてください。あなたの光に照らされて、心から愛することができる自分を見つけることができますように。自分が自分自身のものでなく、他の誰のものでもなく、ただキリストに選ばれ、キリストのものとされた人間として、望みを持って生きていくことができますように。」そのように、教会員のために、家族のために、そして、友人や世界のために祈りをささげているのです。

イエス・キリストがお甦りになられたことを記念する日曜日の朝、キリスト者たちは教会に集まり、神様の前に立ちます。神様の光の中で、自分たちが誰であるのかを繰り返し、確認し、新しく歩み出して行くのです。皆様もぜひお近くの教会にお越しください。神様があなたを照らしてくださいます。

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