神様からの贈り物

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聖書の言葉

天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。

新約聖書 マタイによる福音書 25章14,15節

藤井真によるメッセージ

私たちは生きる意味についてふと考えることがあります。たいへん大きいテーマですけれども、避けて通ることはできません。自分が生きている意味を見出すことができるか、できないかでは、その人の生き方はまったく違ったものになるからです。ですから、それぞれがそれぞれの仕方で、自分の生き方を見出し、それに向かって歩み出していきます。

聖書もまた私たちが何者であるか、何のために生きているのかということ。そして、自分の本当の価値について教えてくれます。しかし、不思議なことに、聖書は「あなたはあなた自身のものではない。あなたは神様のものだよ。」と言うのです。自分が自分でなくなってしまうことに違和感を覚える人もいるかもしれませんが、決して恐いことではありません。あなたの体も魂の神様のもの、イエス様のものとされている。ここに確かな救いがあり、平安があると語るのです。

また、聖書が繰り返して語るのは、私たちの人生は神様から与えられたものによって、すべてが支えられているということです。明らかに「これは自分の才能や努力によって手に入れたものだ」と言えるものでさえも、神様が与えてくださったものなのです。そういう意味で申しますと、一般的に言われているように、「自分で自分の生き方を見つけて、自分の道を切り拓きましょう」というものではないようです。

よく考えてみると、私たちは自分の意志でこの世界に生まれてきたわけではありません。生まれてきた時代や場所、環境といったものも自分で選ぶことができたわけではないでしょう。そして、若い頃に思い描いた自分がここにいるという人もそれほど多くないと思うのです。自分で自分の道を切り拓く生き方は、格好いい生き方かもしれませんが、途中で挫折をして、違う道を歩まなければいけなくなった場合、その人生に喜びを見出すことができるでしょうか。心のどこかにわだかまりのようなものが残り続けることもきっとあるのだと思います。

ところで先程、私たちの人生は神様から与えられたものによって支えられると申しました。しかし、もしかすると「私にはほんの少しだけど、なぜあの人たちはあんなにもたくさんのものをもらっているのだろうか?不公平だ。」と言って、腹を立てることもあるかもしれません。そして、妬みや憎しみの思いに捕らわれ、愛に生きることができなくなってしまうことがあります。これもまた幸せな生き方ではありません。結局、自分の力によって生きようとしても、神様から与えられたものによって生きようとしても、辛い思いをしてしまうだけなのでしょうか。

お話の最初にお読みした聖書の言葉は、主イエスがお語りになった譬え話の冒頭の部分です。

主人がしばらくの間、旅行に行くことになりまして、僕たちに財産を預けるのです。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけました。旅に出た主人というのは神様のことです。「タラントン」というのは、能力、才能、賜物といった意味があります。主人は3人の僕に対して、それぞれ違う額のタラントンを預けました。

少し冷たく聞こえるかもしれませんが、神様は一人一人に対して平等なお方ではありません。また「一人一人の力に応じて」ということですが、決して、神様は「お前には力がない!」と言って、見下しておられるのでもありません。「タラントン」というのはお金の単位のことでもあります。そして、一タラントンというのは、約6千万円もの大金に値します。それだけの額を預けるというのは、僕を信頼し、愛している証拠です。

でも一タラントンしか与えられなかった僕は、ずっと主人である神様のことを誤解していました。恐い方、酷いことをする方だと思っていました。だから、せっかく神様からいただいた賜物を土の中に隠して、それを用いることを一切しませんでした。ある牧師は、「小鳥を靴の空き箱に入れて、クローゼットに閉じ込めてしまうようなものだ」と言っています。神様が私たちに与えてくださっている賜物は、神様のいのちそのものでもあります。鳥が大空を自由に羽ばたいているように、神様のいのちはいつも躍動しています。その与えられた神様のいのちを土の中に隠すことは愚かなことなのです。

イエス・キリストをとおして、神様の姿を正しく知ることができたならば、そこに自分が生きる意味、そして自分の価値を見出すことができます。自分の周りにいる人たちをうらやむことなく、むしろ愛のまなざしで見つめることができるようになります。また、神様からの賜物に生きる時、失敗を恐れることなく、様々なことに挑戦することができるようになるでしょう。小さな実りしか生み出すことができなかったとしても、神様は豊かに報いてくださいます。ぜひ教会の礼拝で、神様のことを知ってください。神様のいのちに生かされている喜びを知ることができます。

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