静かにささやく声

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聖書の言葉

主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。 それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

旧約聖書 列王記上 19章11~13節

藤井真によるメッセージ

以前、ある方からこんな質問をされたことがありました。「どうしたら神様がおられることが分かるのですか。」この放送をお聞きの方の中にも、同じような問いを抱いている方がきっとたくさんおられることでしょう。「本当に神様はおられるのですか。いるとしたら、どこで神様にお会いすることができるのでしょうか。」

私自身クリスチャンとして、また牧師として、短いなりにも歩みを重ねてきますと、先程の問いというのは、非常に大事な問いの一つだ、と思えるようになってきました。「どうしたら神様がおられることが分かるのですか。」

言葉を正確に思い出すことはできないのですが、ある牧師がこんなことを言っていたのを思い出します。「教会に来る人というのは、神様がこの世界に本当におられるかどうかを知りたいから来ているのだ」と。そして、キリスト教会は、そのような人々に対して、「確かに神はおられる」ということを告げるために、立てられているのだというのです。忘れがたい言葉です。

私たちの人生には、様々な出来事が起こります。時に、私たち人間には理解できないような大きな出来事が、人生を襲うことがあります。神様がおられるのならば、なぜこんなことが起こるのかと思うような出来事の波に吞み込まれてしまうことがあるのです。そこで、人々は自分の心に問うのです。「神様は本当におられるのだろうか。」「どうしたら神様がおられることが分かるのだろうか。」

最初にお読みした聖書の言葉の中に、預言者エリヤという人が登場します。彼は預言者という神様から託された大事な働きをする人でした。預言者、それは、未来を予知する人ではありません。そうではなくて神様の言葉を伝える人です。当然、神様がおられることを、そしてその神様がお語りになる言葉を信じて生きています。しかし、そのエリヤが神様を見失ってしまうのです。神様がどこにおられるか分からなくなったのです。

この直前にはこんなことが記されていました。それは偶像の神々を信じていたバアルと呼ばれる預言者たち450人に対して、エリヤたった一人で立ち向かって、大勝利を収めるというお話です。エリヤとは違うかたちかもしれませんけれども、人生の大勝利と呼べるような経験を、私たちも時にするのではないでしょうか。こんなに嬉しいことが、こんな喜ばしいことがあっていいのだろうか。「ああ、本当に生きていてよかった」と言えることがあるのです。エリヤも大勝利を収めて、その余韻に浸っていたことでしょう。自分たちが信じる神様こそが、まことの神様なのだ、と。

しかし、その直後に、エリヤは敵から恨みを買い、命を狙われることになるのです。一気に喜びは消え去り、逃亡生活を余儀なくされたのです。いったいあの大勝利は何だったのか。あの喜びは何だったのか。そのような空しさに捕われてしまったのです。そして、自分の命が絶えることを願って神様に言うのです。「もう十分です。わたしの命をとってください。」自分の死を神様に願いながら、旅を続けたエリヤはホレブという山に到着します。そして、その洞穴で一夜を過ごすことになるのです。

人の心というのは、こんなに極端なのか、と思えるほどに、浮き沈みが激しいのです。嬉しさに喜び踊ることがある一方で、自分の死を願うほどに落ち込んでしまう。そういうことが実際にあるのです。そして、私たちも苦しみ、悩み、悲しみを抱えて、心の洞穴の中に閉じこもってしまうことがあるのです。外の光に目を向けることができず、自分が抱える深い闇の中にずっと座り込んでしまうのです。

でも、そこでエリヤが経験しましたのは、こんな自分にも神様は声を掛けてくださるという素晴らしい経験でした。「エリヤよ、ここで何をしているのか」「エリヤよ、何を悩んでいるのか」。神様はエリヤに問いかけられます。そして、「わたしの前に立て」とおっしゃるのです。あなたの神であるわたしは、あなたの前から消えたのではない。あなたの目の前にいるのだ。だから、「わたしの前に立て」と。神様は洞穴の闇の中から、光が射す方へと私たちを導かれます。死の闇から、命の光が射す方へと、私たちを、神様ご自身が導いてくださるのです。

エリヤは神様が確かにおられることをここで改めて経験しました。しかも神様は、山を裂き、岩を砕くような激しい風の中や、地震の中に、あるいは火の中におられたわけではありませんでした。そういった激しい出来事の中におられたのではありません。つまり、素晴らしい勝利や成功の経験の中に、神様がおられたわけではないのです。そうではなくて、「静かにささやく声」の中に、神様がおられることを経験したのです。その静かな細い声に導かれて、彼は洞穴の外に出て、神様の前に立ちます。そして、新しい使命を与えられて、その一歩を踏み出していくのです。

「どうしたら神様がおられることが分かるのですか。」その問いに、神様はいつも大きな声で答えられるわけではありません。むしろ、静かにささやく声を通して私たちに語りかけられるのです。喜びや成功や達成感の中においてだけではなく、むしろ、悲しみや失敗や挫折の中でこそ、神様は静かにささやく声であなたに語りかけ、あなたと出会ってくださるのです。この神様の言葉にどうか耳を傾け続けてくださいますように。

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