ハイジとキリスト教その①

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聖書の言葉

「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」

新約聖書 マタイによる福音書 7章9~11節

藤井真によるメッセージ

スイスの作家、ヨハンナ・シュピーリという人が書きました『ハイジ』という作品があります。ラジオ・インターネットをお聞きの皆様の中には、この本を読んだことがあるという方が、きっとられることでしょう。また、本のことはよくわからなくても、1970年代にテレビで放映されていた「アルプスの少女ハイジ」という人気アニメ番組を知っておられる方は、もっとたくさんおられることと思います。

ところで、この『ハイジ』という作品の中には、至る所にキリスト教信仰について語られているのです。残然なことにテレビアニメではその部分がほとんどカットされているようですが、原作を読みますと聖書が語っている神様という方はどういうお方なのか。神様を信じて生きるとはどういうことなのかが分かりやすく語られています。皆様も機会があればぜひ手にとって読んでいただきたいと思います。

主人公のハイジは幼くして両親を亡くし、叔母さんの家にあずけられます。そして次にスイスのアルプスの山に住んでいるアルムおじいさんの家にあずけられるのです。このおじいさんが住むアルプスの山が物語の中心的な舞台になるのですけれども、一時期、山を離れてドイツのフランクフルトのお屋敷に住むことになりました。そこに住んでいたのが、クララと呼ばれる車椅子で生活をしている少女でした。またクララのおばあちゃんからは、信仰的に大きな影響を受けるようになりました。そこで学んだのは神様に祈るということでした。アルムおじいさんのところにいたときも、お祈りをしていたのですけれども、フランクフルトに来てから、すっかり祈ることを止めてしまったのです。そんなハイジにおばあさんは、お祈りすることの大切さを教えるのです。

お祈りの中で、神様に色々とお願いごとをします。もちろん、神様は私たちの祈りを聞いてくださるお方ですが、私たちの願いどおりの応えを与えてくださるかどうかは分かりません。例えば、病を癒してくださいとお祈りして、癒されることもありますが、癒されないこともあります。もし、願いがかなえられないと分かったときに、どうするのでしょうか。ある人は、「願いを適えてくださらない神様なんか神様ではない」と言って、お祈りすることをやめてしまうかもしれません。あるいは「願いが適えられないということの中に、実は神様の御心があるのだ。だから、今の現実をしっかりと受け入れよう」と思う人もいると思います。

ハイジはどちらの立場なのでしょうか。最初は前者の立場でした。お祈りしたって、神様は私の願いをかなえてくださらないのだから仕方がないと思っていました。でも、クララのおばあさんから神様のことを丁寧に教わるうちに、段々と神様に対する考え方やお祈りの姿勢というものが変わっていったのです。ここで、少し長いですが、ハイジとクララがお祈りについて対話している場面を紹介します(偕成社文庫、若松宣子訳)。

ハイジ:「今日はこう考えなかった?あたしたちがものすごくお祈りしても、神様がそれよりずっといいことがあるっておわかりのときは、かなえてくださらないの、それでよかったって。」

クララ:「どうして、そんなことをいうの、ハイジ?」

ハイジ:「知ってる?フランクフルトで、すぐにお家に帰してくださいって、あたし、ものすごくお祈りしていたの。でもぜんぜんお祈りがかなわないから、神さまはお祈りをきいてくださらないんだって思っていたの。でも、もしあたしが逃げ出していたら、クララはここにいなかったし、ここで元気になることもなかったのよ。」

クララ:「でもね、ハイジ、そうしたらわたしたちは、なにもお祈りしなくていいことになるわ。だって、神さまは、わたしたちが考えてお願いすることよりも、いつもずっとすばらしい計画を考えているというのでしょう。」

ハイジ:「そう、そうなの、クララ。でも、ちゃんとお祈りするでしょう?……あたしたちは毎日神さまにどんなこともお祈りしなくちゃいけないの。だって、あたしたちは神さまのお恵みで生きていることをちゃんとわすれていませんって伝えなくちゃいけないもの。……お祈りがかなわなくても、神さまが話をきいていない、なんて考えてはいけないし、お祈りをやめてはいけないの。神さま、神さまがもっといいことをお考えだと、わかっています。よく取りはからってくださるので、うれしいですって。」

ハイジの神様に対する信仰の姿勢、祈りの姿勢というものを、簡潔に申しますと、「神様は私たちによいものをくださる」という信仰です。お祈りがきかれないときに、「もう神様なんか知らない」と言って、祈ることのを止めるのでもありません。お祈りをしても、目の前の状況が一向に変わらない状況を前にして、仕方なしに「これが神様の御心なのだ」と言って、悲しい思いをしながら神様の御心を受け入れるというのでもないのです。

そうではなく、神様は私たちに「もっといいこと」をしてくださるために、今はまだ、願いを聞いてくださらないかもしれない。だからこれからも祈り続けていくことが大事なのだというのです。そうしたら、必ず、神様は私のために、いいことだけを考え続けてくださっていたのだということに気付くことができると言うのです。人は自分のことは、自分が一番よく分かっていると思っています。このことが私にとって一番いいことなのだ。どうしたら私が一番幸せになるかは、他の誰でもないこの私が一番よく知っているのだと。でもそうではないのです。あなた以上に、あなたのことをよく知っていてくださる方がいるのです。何があなたにとって一番幸せなのかをあなた以上に知っていてくださるお方がいるのです。それが神様です。

最初にお読みした聖書の言葉は、主イエスのお言葉です。パンをほしがる子どもに石を与える親などいない。魚をほしがる子どもに蛇を与える親もいない。人間の親でさえも自分の子どもにはよいものを与えるではないか。まして、天の父なる神が、あなたがたによいものを与えてくださらないはずがないではないか。だから神様に求め続けなさい、祈り続けなさいと、主イエスはおっしゃるのです。

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