キリスト入門②

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聖書の言葉

「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

新約聖書 マタイによる福音書 16章18,19節

藤井真によるメッセージ

神様のお姿を目で見ることはできません。しかし、風が吹くと木の葉が揺れていることが分かるように、霊の風が私たちの心に吹き付けられる時、神様が確かに生きておられることが分かります。今日は、「ペンテコステ」というキリスト教会にとって大切な日です。神の霊である聖霊の働きによって、教会が誕生しました。今もそのいのちの息吹によって、教会が豊かに満たされています。教会の中で、主イエス・キリストの御声を聞き、神様がこの私の内にも生きておられることを、人々ははっきりと知ったのです。

では、キリスト教会とはどのようなところなのでしょうか。教会の特色とは何なのでしょうか。主イエスは、天に昇られる前、つまり、地上の歩みをしておられた時に、「教会を建てる」という宣言を既にしておられました。「イエス様、あなたは私たちの救い主です」という信仰告白の上に、わたしはわたしの教会を建てると宣言なさったのです。

キリスト教会には、とても大きな特色があります。その一つは、「陰府の力も対抗できない」ということです。「陰府」というのは、「地獄」という場所のことではありません。陰府というのは、「死の力」そのもののことです。ちなみに、「陰府の力」というのは、「陰府の門」と訳した方がよいかもしれません。私たちが歩いている道の先に、大きな門が立ちはだかっています。その門の扉には鍵がかかっていて、頑丈に閉じられています。ですから、門の中に入って行くことはできません。

私たちは人生という道を歩いています。その道が平坦な時もあれば、でこぼこ道や坂道の時もあります。色んな道を歩みながら、私たちは歳を重ねていきます。しかし、どんな道を歩んでいたとしても、最後に私たちを待ち構えているものが、「死」という大きな門です。閉ざされた門を開いて、その先にあるいのちの道に足を踏み出して行くことはできません。でも、いちいち、自分の死のことを気にしてなどはいられません。それでも、人生の道半ばで、開くことなどないと思っていた陰府の門が、急に開いて、門の向こう側から死の力が襲いかかってくることがあるのです。それに対して、私たちは為す術もなく、呑み込まれてしまうのです。また、心臓の鼓動は問題なく動いていても、自分は死んだも当然だ。生きる気力がなく、まるで地獄にいるようだ。そのような思いに捕らわれることがあります。

しかし、イエス・キリストは宣言してくださいました。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」では、どのようにして死に打ち勝つことができるのでしょうか。クリスチャン自身に何か特別な力があるからでしょうか。そうではありません。人間が、頑丈な死の門を自分の力でこじ開けて、その先にいのちの道を進んで行くのではありません。今日の御言葉で言うと、神の子であられるイエス・キリストが、私たちに「天の国の鍵」を授けてくださったからです。地上の最後に、陰府の門が待ち構えているのではなく、天の門がそこにあります。神様から信仰が与えられる時、私たちは生きている時も、死のうとしている時も、天の門を信仰のまなざしではっきりと見ることがゆるされています。そして、主イエスから与えられた鍵で、天の門の扉を開け、いのちの道を歩むことができます。また、こういうふうに考えることもできます。天の門が開いた時、その中からいのちそのものが飛び出て来るのです。そして、死の力に取り憑かれている私たちを、そのいのちで包み込んでくれるのです。

天の国の鍵について、もう少し丁寧に聖書の言葉を見てみると、そこには「つなぐ」とか「解く」ということが言われています。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(19節)「つなぐ」というのは、神様によって禁止されていること。「解く」というのは、神様によって許可されているということです。教会の中で、大きな過ちを犯したしまった人がいます。教会はその人に対して、「あなたは教会員の資格もクリスチャンの資格もない」と言って、追い出してしまうのではありません。天の国の鍵を使って、天の門を開き、もう一度、神様の声を聞かせてあげるのです。迷い出で、神様のもとに戻ることができなくなった一匹の羊を、一所懸命探し続けておられる主イエスの愛の御声を聞かせてあげるのです。その時に、もう一度、イエス・キリストをとおして与えられたいのちに生きる喜びを回復することができます(マタイ18:15〜20)。

人は皆、色んなものにつなぎとめられています。死の力、罪の力が私たちをつなぎとめます。憎しみや悲しみ、欲望が私たちをつなぎとめます。だから、主イエスは、地上の教会に天の国の鍵を授けてくださいました。天の国の鍵を使って、天の門の扉を開く時、そこから神様の愛の御声、赦しの御声がいつも聞こえてきます。

ある人がこのようなことを言いました。「地上の教会は、天国の合鍵を持っている。」素敵な言葉だと思います。「合鍵」を与えられているというのは、相手から信頼されている証拠です。色んなものにつなぎとめられている私たちですが、それでも、神様は私たちを信頼していてくださいます。愛していてくださいます。そして、神様はおっしゃいます。「いつでも教会に来なさい。いつでも天の国の門を開けなさい。そして、わたしのところに来なさい。わたしの声を聞きなさい。」

教会は今日もあなたのお越しを心からお待ちしています。教会は、死に勝利した主イエスのいのちの息で満たされている場所です。ここで神様にお会いするのです。

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