大切なものは目に見えない

キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

新約聖書 ヨハネによる福音書 9章6~7節

藤井真によるメッセージ

聖書にはたくさんの奇跡物語が記されています。長く重い病に苦しんでいた人が、主イエスと出会い、癒された出来事もその一つです。今、お読みしたヨハネによる福音書第9章というところにも、生まれつき目の見えない盲人の目を、主イエスが開いてくださった奇跡が語られています。その男は、長い間、目の見えない闇に苦しめられてきました。いやそれだけではありません。目が見えないのは、自分の両親が罪を犯した結果としての神さまからの罰ではないかと考えていました。もしかしたら、不条理とも言える病に対して、これは親の罪のせいなんだ、自分の罪のせいなんだと、自分に言い聞かせるようにして生きていたのかもしれません。あるいは、本当は納得なんかできないんだけれども、理由のない苦しみと戦い続けるよりも、早く諦めてしまった楽になれると思って生きていたのかもしれません。

でも主イエスはおっしゃいます。「あなたの親のせいでもない。あなた自身のせいでもない。そうではなくて、神さまの御栄光があなたに現されるためなのだ」と。過去を振り返って、今、自分が辛いのは、こういうことが原因ではなかったか。ああゆうことをしたらか、こうなったんだと自分で自分を責める言葉の渦の中に沈み込んでしまうのではなく、これから、あなたの将来において、神さまがしてくださる素晴らしいことを信じるように、それを見るようにと、主イエスはおっしゃったのです。男は、この主イエスの言葉を信じて、シロアムという池に行きます。そして、主に塗られた泥を、その池で洗った時、これまで開かれることがなかった目が、開かれたのです。これまで光を感じたことがなかった目に、光が射し込みました。目が見えるようになったのです!

聖書が語る目が開かれるということは、何も、肉体的に目が見えるようになった。視力がよくなったということではありません。その背後にある神さまのお働きが見えるようになるということ。これが大事なことなのです。この男にとって、目が見えるようになったというのは、当然大きな喜びでした。でもそれ以上に、嬉しかったことは、主イエス・キリストに出会ったということでした。主は、男に「シロアムの池に行くように」と命じました。この「シロアム」というのは、「遣わされた者」という意味があります。では、遣わされた者とは誰なのか?それは、主イエス御自身のことではないかと言われます。主イエスも父なる神さまから、この世に遣わされたお方なのです。ですから、シロアムのところに行くようにというのは、わたしイエスのもとに来るようにということだったのではないでしょうか。男は、この主イエスの招きに応えて、主の言葉に聞き従いました。それゆえに、男の目は開かれたのです。

主イエスのもとに行き、主イエスの言葉に聞くときに、私たちもまた目が開かれるのです。そのことを神さまはあなたにも約束してくださっています。何もそれは、病が必ずしも癒されるというわけではないでしょう。イエスさまを信じれば、病も思い悩みも苦しみも、何もかもなくなるというわけではありません。

以前、私が仕える教会に、盲人の女性の方が通われていました。元気で明るい方で、いつも大きな声で賛美歌をうたい、お祈りの最後の「アーメン」という言葉を、会衆の誰よりも大きな声で口にしていました。けれども、その方が何の悩みもなかったというと、決してそうではありません。よく礼拝の後に、「先生お話があるのですが、聞いていただけないでしょうか」と言われ、色んな相談をされました。仕事のこと、家族のこと、信仰のこと、時に、涙を流しながら、訴えかけてこられました。この世は、必ずしも弱さを抱えている方に対して優しい社会とは言えないところがあります。その女性の方もおっしゃっていたのですが、目が見えないからと言って、職場の人たちがいつも親切にしてくれるわけではなかったそうです。むしろ、色んな手がかかる者として、どこか邪魔者扱いされていると、お話してくださったことがありました。辛いことですけれども、それが現実でした。しかし、それでめげてしまうのではなく、何度も何度も立ち上ろうとしたのです。正確には、自分の力ではなく、主イエスに立ち上がらせていただくことを、祈り願いながら、教会に来て、礼拝を捧げ、そこで主イエスと出会い続けて、主イエスと共に生きる歩みを重ねておられたのです。自分を取り巻く闇の現実をも貫いて届くまことの光・主イエスによって生かされる時に、あの明るい賛美の歌声、「アーメン」(神さまがなさることは真実です)と大きな声で口にすることができたのではないでしょうか。

フランスの作家でサン・テグジュペリという人がいます。『星の王子さま』という有名な本を書いた人なのですが、その本の中に、こんな言葉があります。

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ。

かんじんなこと、大切なことは目に見えないのだというのです。肉の目ではなく、心の目で見ないと見えないんだ!人は目に見えるものこそが全てだという考えに振り回されているのかもしれません。心の底では、目に見えないものの中にこそ、大切なことがあると思いながら、どうしても現実の様々な事柄に思い悩んでしまいます。大切なものが見えなくなってしまうのです。でも、そんな私たちが現実の闇に呑み込まれてしまうことがないように、神さまは、この世に、イエス・キリストを与えてくださいました。どうかこの方がお語りになる言葉に耳を傾けてください。主イエスは、必ずあなたの心の目を開いてくださいます。どのような人生の道においても、神さまは光をともし続けてくださり、あなたの歩むべき道を最後まで示してくださいます。

関連する番組