ここでしか聞こえない音

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聖書の言葉

いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。

旧約聖書 詩編 84編6~7節

藤井真によるメッセージ

リスナーの皆さんの中には、印象に残っている学校の先生が一人か、二人はいるのではないでしょうか。私にも印象深い、大好きな先生がいました。それは小学校4年生の時でした。4年生の時、実は、担任の先生が二人いたのです。私はミッションスクールに通っていましたので、お二人の先生は共にクリスチャンの方でした。4年生の春から夏までは大西先生という女性の先生、夏から冬までは岡本先生という男性の先生でした。本来は、岡本先生が1年間、4年生のクラスを担当するはずだったようですが、病のため、急遽、4月からクラスを受け持つことができなくなったのです。体調が回復した夏から4年生の担任の先生として赴任しました。

私が、この岡本先生についてよく覚えているのは、昼食の時でした。私の通っていた小学校は、給食ではなく、お弁当でした。その先生は、いつも黄色タッパーに大きなお豆腐をそのまま入れて持ってきていました。お豆腐の上には、塩がかかっているだけです。あと玄米なども一緒に持って来ていたかもしれません。岡本先生のお弁当の内容について詳しくは覚えていませんが、いつも大きなお豆腐を持ってきていました。そのことは今も目に焼き付いています。たったそれだけの食事を毎日、毎日お弁当に持ってきていたのです。お豆腐ばかりのお弁当…、いったいどんな病気だったのかはよく分かりません。残念なことに、もう既に天に召されたこともお聞きしました。まだ若かったと思います。岡本先生の体は弱かったかもしれません。しかし、熱い情熱を持っていた先生でした。

この岡本先生が、生徒たちにいつも、何度も聞かせてくれたお話がありました。それが「鈴の鳴る道」というお話です。クリスチャンの詩人・星野富弘さんの詩集の中で語られているエピソードだそうです。星野富弘さんという方は、元々、体育の先生でしたが、授業中の事故により、首から下が不自由になってしまいました。「体育の先生」という、言わば、強さの極みを兼ね備えた星野さんが、事故によってその体を自由に動かすことすらできなくなった。ただただ、ベッドで寝ている自分、寝ているだけで、何もできない自分が惨めで、情けなくて、生きていても仕方がない。生きている価値なんかないと思った。そんな時に、知り合いのクリスチャンを通して、イエス・キリストの言葉を聞き、イエス様の言葉の中に、「わたしはあなたを愛している」という喜びの音色を聞き取り、やがて星野さんは洗礼を受けて、クリスチャンになりました。そして、わずかに動かせる体の部分を上手く使って、つまり、口に筆を加えて、美しい絵や詩を描き続けたのです。

岡本先生も、この星野さんの絵や言葉が大好きだったようです。味がしっかりついた料理、油っぽい料理は食べられない。味気のない豆腐や玄米しか食べられないような病弱な体を抱えながら、「鈴の鳴る道」というお話が大好きだった。どういうお話かと言うと、星野さんは車椅子に乗って散歩をするのが好きだったようですが、その散歩コースの中に、嫌な道、つまり「でこぼこ道」があったようです。車椅子が揺れて倒れそうになるばかりか、でこぼこ道の上を通る振動が脳にまで伝わって、気持ち悪くなるそうです。だったら、でこぼこ道を避けて通ればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、散歩のコース上、どうしても避けることができなかったようです。

でもある時、ある人から小さな鈴をいただいたそうです。自分の手を動かして、鈴の根を鳴らすことはできませんから、車椅子に括り付けてもらったそうです。そしていつものように、車椅子で散歩中に、あのでこぼこ道にさしかかった。「嫌だなぁ~」としかめっ面をしながら、そっーと、慎重に車椅子のレバーを動かして、でこぼこ道の上を通ると、何ということでしょう。思いもしなかったことが起こったというのです。

何かすごいことが起こったわけではりません。でこぼこ道の振動によって、くくりつけていた鈴が「チリーン」と鳴ったのです。たったそれだけのことです。でも、星野さんにとっては「チリーン」という音色が、澄み渡るような美しい音だったというのです。この美しい音色をもう一度、いや何度でも聞きたい。そう思って、これまで通りたくなかったでこぼこ道を、行ったり来たりして、「チリーン」「チリーン」という音を聞き続けたというのです。もう嫌な道を通ることが嫌ではなくなったどころか、好きになった。嫌な道そのものはなくなってはいないのです。でこぼこ道は、でこぼこ道のままで、そこにあるのです。でも、そこに小さな鈴があるということが、その鈴の音色がでこぼこ道の上で「チリーン」と鳴り響くことが、私の心を軽やかなものにしてくれる。

岡本先生も大きな病と弱い体を抱えていました。それゆえに、他の先生に比べて十分に学校で働くことができないという負い目も持っていたかもしれません。でも岡本先生は、イエス・キリストを信じていました。イエス様が与えてくださる救いについて、「福音」と呼ぶことがあります。「幸福」な「音」と書いて、「福音」。イエス様が自分に与えてくださる救いというのは、病をはじめとする人生の苦難、あるいは誰にも言えない深い悩み、罪の中で、それらを表わすでこぼこ道において、鳴り響く幸せな音。喜びの音色なのです。

イエス・キリストが与えてくださる救いというのは、そういうことです。こんなところで生きられるか!こんなところに居られるか!そう思うほどに、嫌なことが人生にはたくさんあります。でもそこにおいて、鳴り響く美しい音がある。この音色を、ここで聞けるから、イエス様がそこにおられるから、私はなお希望をもって生きられる、と言える道を、神様はあなたにも備えてくださっているのです。

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