笑いが満ちる時

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聖書の言葉

主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて

わたしたちは夢を見ている人のようになった。

そのときには、わたしたちの口に笑いが

舌に喜びの歌が満ちるであろう。

旧約聖書 詩編 126編1,2節

藤井真によるメッセージ

「宗教」や「信仰」という言葉を聞くと、どこか堅苦しいと言いますか、難しいイメージを持っておられる方がおられるかもしれません。まるで絡まった糸を解いていくように、終わりがまったく見えない作業を永遠に続けているかのようです。そこには、人が生きていく上で経験する困難さとも深く結びついているのでしょう。「そう簡単に、幸せや喜びを手に入れることはできませんよ」ということかもしれません。「簡単に手に入れることのできる幸せなんて、たいした価値はありませんよ」ということなのかもしれません。確かに、難しいからこそ、それを解決し、乗り越えた時の喜びというのは、何にも替えがたいものがあります。しかし、一方で、人はそれほどまでに苦労しないと、幸せをつかむことができないのでしょうか。そこまでしなくても、人間らしく、普通に生きていることの中に、実は、大切なことがあるのだと信じたいのではないでしょうか。

落語家に桂歌丸という人がいました。テレビ番組「笑点」などでよく知られていた人ですが、この人が次のようなことを言っていました。「人間、人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいんや。」たいへん興味深い言葉です。学校や塾に通って、「どうやったら人を泣かせたり、怒らせたりすることができるか」ということについてわざわざ勉強しなくても、簡単に真っ暗な悲しみの底に突き落としてしまう恐ろしい力というものを、人は持っているのだと思います。反対に、悲しみと怒りの闇の中にうずくまっている人に希望の光を与えること、笑顔を与えること、そのことが如何に難しいことであるかということを私たちも知っています。

今紹介した桂歌丸さんの言葉は、幼い頃の戦争体験がもとになっています。だからこのようなことも言っています。「人間にとって一番肝心な笑いがないのが、戦争をしている所。」戦争は、人のいのちを奪いました。家も町も失い、家族もバラバラになりました。戦争は悲しみしか生み出さないということが分かっていながら、それを口にすることも許されませんでした。戦争によって、多くの人が涙を流し、その涙が怒りに変わりました。戦争が終わってから73年以上が経ちますが、いまだにその傷が癒えることはありません。

幸せとは何でしょうか?人によって、その答えは様々なのかもしれません。でも、もしかしたら「笑う」ということの中に、何かとても大切なことがあるのではないでしょうか。私事で恐縮ですが、4年前に息子が与えられてから、そのことを強く思うようになりました。おかしな考え方かもしれませんが、自分の幸せとか喜びとか、もうそんなことはどうでもよくなりました。それよりも、あなたが今幸せかどうか。つまり、息子が今幸せかどうか、そのことに関心が向くようになりました。好きなものを買ってもらう度に嬉しい顔をし、面白い絵本に出会えば大笑いし、保育園で習ってきた歌を楽しそうに歌っている。決して珍しくない光景かもしれませんが、「ああ、この子は幸せだな」と親として正直に思います。もしこの先、息子が辛い経験をして、笑うことができなくなってしまったならと思うと、それだけで胸が苦しくなります。

アメリカのある牧師が、このようなことを言っています。「これは黒い装丁の本、革表紙に包まれきっちりしたもののように見えます-でも、おもしろおかしな本なのです。」聖書に記されている神様の言葉、それは決して何冊も難しい本を読んで、一所懸命謎解きをしなければ分からないようなものではありません。だからと言って、単純に簡単なものとも言い切れません。この牧師が言うように、「おもしろおかしな本」(ユーモアに満ちた本)なのです。神様が、ユーモアに満ちているというのは、それだけ私たち人間の思いを超えているということでしょう。笑うしかないような驚くべきことを、神様は私たちに告げてくださるということでしょう。

今日のお話の冒頭で、旧約聖書に記されている「詩編」の言葉を読みました。神の民イスラエルは、故郷エルサレムから異国の地バビロンに連れて行かれ、そこで苦しい生活を何十年も強いられたのです。私たちは「神の民」であるというプライドはずたずたになり、「いつまでこの苦しみは続くのですか」と叫び続けなければいけませんでした。でもついに、時は満ちたのです。「あなたがたは、故郷エルサレムに帰ることができる!」「苦しみから解き放たれて、自由になれる!」

この解放の知らせは、イスラエルの民にとって驚くべきことでした。「神様、冗談でしょ!?」と笑いながら聞き返したくなるような知らせでした。それだけ人々の心に諦めが支配していたのです。だから言うのです。「わたしたちは夢を見ている人のようになった」と。神様がおっしゃることは、私たちが生きている現実では決して起きないような出来事。起こったとしても眠っている間、夢の中でしか起きないようなことだと思い込んでいるのです。

でも、その思い込みが現実になったらどうでしょうか。これは夢だと思って、目が覚めたら、夢ではなかったということに気付いた時、どんな思いになるでしょうか。想像するだけで心がワクワクすると思います。思わずにやけてしまうことでしょう。でも、本当のことを言えば、もう想像する必要もないのです。なぜなら、私たちの世界に救いをもたらすお方が既に来てくださったからです。救い主イエス・キリストは来てくださいました。あなたの人生に笑いと喜びが満ちるために!あなたが目覚めるべき時は、もう来ているのです!

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