時の贈り物

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

聖書の言葉

更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。

新約聖書 ローマの信徒への手紙 13章11,12節

藤井真によるメッセージ

生きることは時を刻むことでもあります。ついこの間、新しい年になったばかりですが、間もなく二十日を迎えようとしています。この一年どのような年になるのだろうか。あるいは、どのような一年にしていこうかと思いを巡らせながら、手帳やカレンダーに予定を書き込んでおられる方もたくさんいることでしょう。

また、一年という大きな単位でなくても、私たちは毎日、時間、時というものを気にしながら生きているところがあります。何時に起きて、何時に朝ごはんを食べて、何時に学校や仕事に出掛けるというふうに。もし何らかの理由で時間にズレが生じてしまったならば、その日の調子、予定が大きく狂ってしまいます。だから、ちゃんと自分で時間を管理して、コントロールしたいと思っているのではないでしょうか。そのために、計画をしっかりと立て、実行し、ちゃんと目的を達成することができるように務めます。そのようにして、私という一人の人間をつくりあげていこうとするのです。

しかし、私たちは知っています。何事も計画どおりにいかないということを。予期せぬ出来事がたくさん起こります。他にもやるべきことがたくさん出てきて、あまりの忙しさに疲れ果ててしまうことも多いでしょう。時間を管理し、コントロールしているようで、実際は時間に追われ、時間に支配され、時間の奴隷になってしまっていることも多いのです。

ある牧師がこんなことを言っています。「神がわれわれに時を贈り物としてくださる。」とても素敵な言葉だと思いました。時、時間というのは、神様からの贈り物だというのです。私たちが時間を好きなように支配するのではありません。なぜなら、時を神様が与えてくださったプレゼントだからです。その事実に気付く時、私たちは「忙しい、忙しい」と言って、時間に呑み込まれ、自分を見失わなくてよくなります。「思い通りにいかない」と言って残念がることもないのです。

伝道者パウロは言います。「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。」ここで言われている時というのは、私たちが腕にはめている時計の針が刻むものとはまったく別のものです。「神様だけが与えてくださる特別な時をあなたがたは生きているでしょう」と人々に語り掛けるのです。例えば、つい1ヶ月前に、キリスト教会ではクリスマスをお祝いしました。クリスマスは、教会が大切にする特別な時です。救い主イエス・キリストがこの世界に来てくださいました。そのことによって、この世界は新しい時を刻み始めたのです。

私たちもそれぞれに、時を刻みながら歩んできたことと思います。何の大きな問題もなく歩んでくることができたという人もいれば、あの日以来、私の時計は止まってしまったという人もいるかもしれません。深い悲しみや大きな失敗、過ちによって、これまで築き上げてきたものが一瞬にして崩れ去ってしまうことがあります。あまりのショックで、そこから立ち上がって、再び歩み出すことができなくなってしまいます。どうしたら時計の針は前に進むのでしょうか。虚しく時間だけが流れていくというのではなく、地にしっかりと足を着けるようにして、確かな時を刻んで生きていくためにはどうしたらよいのでしょうか。

この世界に来てくださったイエス・キリストは、悲しみや苦しみの中にある私たちと一緒に歩んでくださいました。時間の奴隷となってしまったり、生きる虚しさに捕らわれている私たちを救い出すためにこの世界に来てくださいました。十字架に死に、復活してくださった主イエスは、罪の深い闇を打ち破り、朝の光と共に新しいいのちに甦ってくださいました。この主イエスが、「わたしと共に光の中を歩んでいこう」と招いてくださり、私たちの手を取ってくださいます。そして、神様から与えられた新しい時を刻み始めるのです。

私たちは永遠に地上の生活を続けることができるわけではありません。やがて終わりが来ます。地上のいのちを終える時が来るのです。誰の将来にも死というものがあります。死ぬということは恐ろしいことかもしれません。まるで私たちの将来から不気味な足音が近づいてくるようです。でも聖書は私たちに告げています。将来から私たちのところにやってくるのは、死の足音ではなく、まことのいのちそのものであられるイエス・キリストの足音だということを。

神様からの贈り物である時間を生き始める時、望みを持って自分の将来を見つめることができます。どんな小さなことであっても、私の日々の歩みに意味があるということを見出すことができます。今朝も、多くの人が教会に集います。「わたしと共に歩もう!」という神様の御声を聞くために。神様はあなたにも特別な時を贈り物として与えてくださいます。ぜひ、教会に行って、神様の言葉に耳を傾けてみませんか。

関連する番組