ラジオ番組 キリストへの時間の掲示板

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

掲示板

「キリストへの時間」の掲示板です。ここに、あなたの意見や感想を記すことが出来ます。担当者も毎日チェックしていますので、質問や疑問があれば書き込んでみてください。

内容に関して特に制約は設けていません。ただし広告等に関するものは、管理者の判断で削除されることがあります。ご了承ください。

入力フォーム

投稿内容

画像認証

画像の文字を入力してください
別の画像に変更

天使の足跡さま

投稿者:
Meg
投稿日:
2014年08月16日 15時50分42秒

ご投稿ありがとうございました。
お答えするのが遅くなり、大変失礼いたしました。
世の終わりの事についての聖書のメッセージをお聞きになりたいというご要望ですが、メッセージを担当する先生方にお伝えしておきます。すぐの放送、というわけにはまいりませんが、どうぞ気長にお待ちくださいますようにお願いいたします。

復活体について教えて下さい。

投稿者:
三並良一
投稿日:
2014年08月16日 15時32分55秒

管理者さま
頌主 ぜひ、以下の件につき、牧師先生の御見解をお伝え願います。
日本キリスト改革派教会の創立六十周年「終末の希望についての信仰の宣言」の中に、「復活の体は、墓に葬られた血肉の体とは性質において異なり、神の国を受け継ぐにふさわしい朽ちない霊の体です。しかし、同じ自分の体であり、まったくきよくされた自分の魂に再び永久に結び合わされます。」とあり、復活体と現在の身体との連続・同一性と、非連続・非同一性との両面が示されています。私は連続・同一性の面について質問します。
「墓に葬られた血肉の体」という表現から、これは土葬を前提としていることはわかります。ウェストミンスター信仰基準も、その根拠となっている聖書箇所も「墓」には遺体があるということ、土葬を前提としているのでは?
しかも、キリスト再臨時に、まだ腐り果てていない状態、すなわち骨だけになっていない「体」を成している状態を想定しているかのようです。
たとえばヨハネによる福音書5章28節の「墓の中にいる者たちはみな神の子の声を聞き」と言われている、その「墓の中にいる者たち」は、火葬された遺骨のそれではなく、土葬されてまだ腐り果てていない死体が念頭に置かれているのでしょう。だからこそ、その「体」と「復活の体」との連続性が出てくるわけです。「骨」だけの状態はもはや「体」とは言いませんから。
しかし現代の教会の信者はみな火葬なので、土葬を前提としている聖書の文言および教理を、火葬を前提とすることとして読み替える必要があります。その場合、遺骨と復活体との連続・同一性ということになり(もちろん一方には非連続・非同一性もあるが)、いかにして遺骨から復活体へ連続・展開し得るのか?という疑問が生じます。これは思弁ではなく、信者の実際的な問いです。葬儀の説教でも牧師はこの点を誤魔化さずに、聖書本文から解き明かす努力を求められるべきです。第一コリント15:42~44あたりを中心したメッセージになろうかとも思いますが、果してこの点、牧師さんたちはどのように釈義して説かれるのか、その点をお教え願います。
ついでに、もう1つ、質問があります。「墓の中にいる者たちはみな神の子の声を聞き」ということは、「墓の中にいる者」が、神の子の声を聞きわけるための「意識」があるということです。これはウェストミンスター基準では「霊魂」の働きです。しかし、霊魂は死後ただちに天国に行っているわけです。墓の中にあるのは肉体ないしはその骨だけなのです。なのに、終末のキリスト再臨時には、墓の中に魂が帰ってきているということになります。そういう理解でよろしいのでしょうか?
以上、信仰生活において重要なことなので、2点につき、お取り扱いをよろしくお願い申し上げます。在主

癒し

投稿者:
cap
投稿日:
2014年07月31日 16時41分35秒

質問させて下さい。

癒しについて、
聖書にも盲目人の目が開けられたとか足が癒され歩き出したなど、または一般の人たちにも祈りによって癒された話しをよく読んだりします。
祈りは100%自分の思うとおりになるわけではなく、叶わない時にでもそれが最善の道とされて祈りは聞かれている..

これらのことはよく理解でき、なぜ全てが叶わないのですかという質問ではないのですが、どうしても不思議に思うことは、祈りによって癒された人達はレントゲンに写っていた癌であったり頭痛であったり耳鳴りなど色々な病状がありますが、絶対(と言っていいのか)にないのが「切断された腕や足が元にもどった」などの話しです。
どうしてでしょうか。
キリストによれば山を動かすことも風邪を癒すことも同じく容易なことだと信じられます。
しかしなぜ今までに全くこのようなことが起こらないのでしょうか。

心から祈り、それが御心ならば腕や足が生えてきますか。
今までにないのがよくわかりません。

この世の終わりの事について

投稿者:
天使の足跡
投稿日:
2014年07月27日 21時51分12秒

放送では新約聖書の場合、イエスの教えが中心になると思いますが、イエスはマタイ24章などでこの世の終わりの出来事にも触れています。

またヨハネの黙示録は、ほとんどがこの世の終わりの事について書かれています。

この番組で、世の終わりの事について放送する予定はあるでしょうか。

御教示の御礼その他

投稿者:
三並良一
投稿日:
2014年07月15日 14時54分42秒

御多忙のところ迅速に御回答頂き、遅ればせながら御礼申し上げます。
実は私もあれから他の文献・資料をあたっておりましたが、志茂望信著『物語 キリスト教史』(新教出版社)で次のように書かれていました。
<グリーン宣教師は、明治三二(1899)年春までキングスレー館で日曜に礼拝と聖書研究会を行なったが、片山が労働運動に深入りするようになって、片山から手を引き、月給二五円を打ち切り、片山を見捨てた。「・・・・(略)・・・・」と片山は嘆いた。植村は片山の労働者伝道を支え、彼の教会には番頭、会社員、商店員なども多くいたが、「我輩教会にハッピを着たものはいらない労働者などは来なくとも好い」と片山に言った。「耶蘇教會は全體から言へば、此の時分からもう富豪の手先であった」と片山は考えた。片山は明治三二年から社会改良・労資調和論を越えて社会主義へと傾いた。彼はそのために社会政策学会から退会させられた。>(345頁)※「我輩教会」は「我輩の教会」、「いらない」と「労働者」の間に句読点入り、と思われます。この植村の発言が、前の質問で引用したwikipediaでの「我輩の教会に、車夫、職工の類はいらない」に変ってしまったものと思われます。ずいぶん変わるものですね。
それはともかく、こんなことを彼が実際に片山に対して言ったのだとすれば、その背景・事情がいかなるものであったとは言え、その発言自体、人権意識がまだ低かった明治時代のこととは言え、牧師としてあるまじき発言であり、労働者や下層階級に対する偏見や差別の意識を露呈していると言わざるを得ません。植村擁護派ともいえる研究者の中には、この植村の発言をできるだけ好意的に解釈しようとして、片山が社会問題に熱中するあまりキングスレ―館の館長としての仕事を放り出したことへの怒りや失望の感情による誇張的表現をみなす向きもありますが、片山が植村の牧する一番町教会を労働者中心の教会に変革しようとしたとでもいうのではない限り、いくら感情的になる事情があったにせよ、この発言はひどすぎますね。たしかに植村も社会問題への関心があり、実際に片山を支援していましたが、あくまでも上から目線で、主たる関心は中流以上の人々への宣教だったのでしょう。彼の心の中には下層階級に対する差別意識があったのではないか、それが片山に対して露呈したのではないかと推測されますがいかがでしょうか。
植村は東京一致神学校を卒業しましたが、英国に留学してロンドンの「パンプレスビテリアンミーティング」に参加して、そこでの体験から植村は「カルヴィニスト」や「長老主義」が嫌いになったそうで、それが日本基督教会の簡易信条主義につながっていると云われております。ですから御教派の流れとは袂を分かった人物ということになりますね。明治学院では米国の自由主義神学のテキストを採用して分裂に至るのですから。
植村は海老名弾正との神学論争を通して、信仰告白的基盤が脆弱であった福音同盟会において「キリストの神たるを認めざる教会並びに教師伝道師は本会に加盟するを得ず」という決議を実現させたことなどから、日本の特に改革・長老派系の教会では、わが国における正統的キリスト教会の創始者の如く祭り上げられておりますが、簡易信条主義に現れているように聖書釈義についてはおかしなところがあり、第一コリント11章でパウロがキリストを「神に劣れる者」としていると言っています。神とキリストとの関係を男女関係や親子関係の儒教的理解により所謂、従属説的解釈をしているわけですが、これは改革派神学における「職務的従属」とはならないでしょう。やはり聖書の体系的教理を軽視するとこういう問題が起きるという好例であり、キリスト教の歴史の浅い日本だったからこそ、明治期の教会は日本人の手による自給独立教会の建設よりも聖書の教理的理解による正しい信仰告白の基礎付けを優先させるべきであったということを示しているのではないでしょうか。
ちなみにキングスレー館は植村を除いて資金提供のグリーン宣教師から委員までほとんどが組合教会(会衆派)の人々です。片山は米国で区学して会衆派の教育機関であるアンドヴァー神学校とエール大学を卒業し、神学士の学位も取得しました。そして帰国後に組合教会で牧師になることを志望しますが果たされませんでした。その理由もよくわかりません。彼が神学的なことよりも社会学的問題にあまりに偏向しすぎていたからでしょうか。エールでの学士論文も都市改良問題に関してだったそうで、これが神学論文のテーマになったのはおそらく社会的キリスト教との関連だったからでしょうね。長々と失礼致しました。

三並良一さま

投稿者:
Meg
投稿日:
2014年07月07日 13時08分08秒

三並良一さま

植村正久についてのご質問をお寄せくださり、ありがとうございました。当改革派教会の神学校で日本キリスト教史を教えておられる牧師より、いかのような回答を預かりましたので、お知らせいたします。

「メールをありがとうございました。『ウイキペディア』の記述(出典はわかりませんでした)はともかく、以下のことがあります。

・植村は、教会とは人種、国籍、性別、身分といったことと関係なく、信仰によってだれもがひとつになれる場所だと述べています。
・ただ、植村にはあきらかに大都市、たとえば東京の山の手の新中間層に福音をのべ伝えるという伝道戦略がありました。それゆえに、下町の労働者階級にまで伝道の射程が伸びていかなかったということは(事実として)あったと思います。
・伝道戦略ということとは別に、植村には「都趣味」(都会は志の励まされる場所である、というような)がありました。
・参考文献として、植村自身の論説としては「中等社会」(著作集1)「都と田舎」(著作集7)「土一升、金一升」(同)等がありますが、この点を最も詳細に論じているのは田代和久氏の論文「都市教会存立の思想的背景 植村正久の場合」(『思想』第6号、1972)です(東北大学の紀要です)。」

ご参考にしていただけましたら幸いです。
よろしくお願いいたします。

植村正久について質問

投稿者:
三並良一
投稿日:
2014年07月07日 06時58分54秒

頌主 御多忙中おそれいります。お時間が許される時に以下の件、お願い申し上げます。
内容は、wikipedia「植村正久」に記載されている下記の文言が正しいか否かです。

<上流階級、中流階級、ホワイトカラー層中心の教会を形成した植村正久は「我輩の教会に車夫、職工の類はいらない」 と言って下層階級、ブルーカラー、肉体労働者層を排除した[16]。植村正久の師であるサミュエル・ロビンス・ブラウン宣教師も「伝道は急務である。しかし無学な者が伝道するのは害がある」との持論を持っていた。>

出典[16]は季刊『at(あっと)』15号となっており、見ましたが元の出典は不明です。『植村正久とその時代』の中に書かれているでしょうか?高価な本だし図書館にもないので読めていません。植村についての評伝を書いている某牧師に問うたところ、植村ともあろう人がこんな差別的なことは言わないだろうとのお答えでしたが、私は主観的想像による答えは無用で、客観的事実を知りたいと調べています。御存知なければ、どなたかわかりそうな人をご紹介願います。在主

天使の配達

投稿者:
irumi
投稿日:
2013年12月16日 10時33分26秒

毎年、クリスマスの時期になると思いだす話があります。
繁華街で遅くまで遊んだ帰り、ある若者が駅前で一枚のキリスト教のトラクトを受け取ります。

後日、なにげなくポケットに入れていたそのトラクトを見て彼は教会を訪れました。
そうして彼は教会に通い始め、やがて洗礼を受けます。
そして洗礼を受ける時、彼が教会に通うきっかけになったトラクトをお渡しした方を探しました。
牧師が確認してみると、彼の持っていたそのトラクトは紛れもなくその教会が発行したものです。
教会でアナウンスもし、時間をかけて心あたりの会員にも訪ねましたが、どなたが手渡ししたのか一向にわかりません。
・・結局、牧師は天使が運んだトラクトだというのですが。
あなたはどう思いますか?

ことしも、あとわずか。

投稿者:
顧みぃはせじぃい~・・・♪
投稿日:
2013年11月22日 20時59分13秒

今年一年、ありがとうございました。
来年もよろしくね。

キリスト教安息日

投稿者:
てるてるぼうず
投稿日:
2013年11月18日 21時19分09秒

・・というタイトルにしましたが、日曜日についての意識の質問です。
キリスト教安息日は、死守から厳守、そして尊守へと変わったとか。

1.お仕事・娯楽ダメ、礼拝と憐れみの業とに終日過ごすの日。
2.お仕事さえしなければ、礼拝に出席するだけで良しの日。
3.礼拝出席だけで良し。
4.礼拝は日曜日にこだわらない。