バケツではなくパイプ

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聖書の言葉

「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」

新約聖書 ヤコブの手紙 1章22節

川瀬弓弦によるメッセージ

今日のメッセージタイトルは、ちょっと変わっているかもしれません。教会の子供達に神様の言葉とどう向き合ったらいいか、受け取った神様の言葉をどうしたらいいかを教える時に、この例えをします。バケツとパイプとは一体のことでしょうか?始めに…バケツは何をするためのものでしょう。水をためるものです。バケツに水を汲んで、水槽の水を換えたり、掃除に使ったり… ですから、バケツに穴が空いていて、水がもれたり、こぼれてしまっていたら何の意味もありません。反対にパイプというのは、水を貯めるのではなく、流すためのものです。パイプはいろんな場所にあります。トイレや洗面所、お風呂、道路の下の見えないところにも、下水やガスなど、無数のパイプが縦横無尽に設置されています。そんなパイプが詰まってしまうと恐ろしいことになります。汚い水なら逆流してしまいます。トイレが詰まった時の恐怖といったら…想像したくもありません。

神様の言葉を聞く私たちの心にも、バケツタイプとパイプタイプの二つがあります。バケツタイプというのは、聞いた神様の言葉をそのまま心にしまったままにしておく人のことです。穴がないかどうか入念に調べて、聞いた言葉を自分だけで楽しんだり、吟味したり、熟考するだけで終わってしまう人のことです。ただバケツには、一つ大きな問題があります。バケツは、いっぱいになってしまうと、もう水は入りません。神様の言葉を聞くだけで終わる人というのは、そのように、その人のうちに許容できる御言葉も限られてしまうことでしょう。いっぱいになれば、新しい言葉はもう入ってこなくなるのです。

もう一つの心は、パイプタイプの心です。それは、聞いた言葉を自分の中だけに大切にしまっておくのではなく、その言葉を自分の外でも、家族や友人、同僚、近所の人など、他者との関係の中で、また変わりゆくこの社会や世界の中にも適用しようとする人、御言葉にしたがって生きようとする人のことです。ヤコブが言う「御言葉を聞くだけで終わる」のではなく、「御言葉を行う人」とは、まさにこの神様の言葉を世界の隅々まで届けるパイプのような人ののことでしょう。バケツに溜まったままの水は、そのままにすると汚くなって臭くなってしまいますが、パイプを流れる水はいつも新鮮で美味しい水です。

聖書の舞台であるイスラエルには、バケツタイプとパイプパイプの人がそれぞれ行き着くところを良く表したものがあります。それがイスラエルを代表する二つの湖、死海とガリラヤ湖です。死海は世界で最も低い場所にある湖で、水が流れ込むところはあっても、出ていく川がどこにもありません。そのために塩分がどんどんと濃くなってしまい、生き物が全く住めない「死の湖」となってしまいました。聞くだけで芽吹くことのない種子のようだったり、あるいは知識は増えて、見た目は成長したように見えても、聞いた御言葉から何の実も結ばないとすればもったいないことです。

反対にガリラヤ湖は、漁師だった幾人かの主イエスの弟子たちが漁をしていた湖です。この湖には水が豊かに流れ込むだけではなく、流れ出ていく川もちゃんとあります。ですから水は常に新鮮で、当然そこには豊かな命が芽生えます。主イエスも弟子たちも、ここでとれた新鮮な魚を食べていました。同じイスラエルの地にあって、二つの湖は全く異なっていました。同じ日本という国、社会の中に生きていても、聞くだけと、行う人の間では、こんなにも大きな違いがあるのです。ですから、ヤコブを通して神様は、私たちが御言葉を聞くだけで終わるのではなく、行う人になる人になるようにと招いておられます。バケツではなく、神の御言葉のパイプとなるようにと、です。神様の言葉が私という人間を通して流れ続け、この私という存在を世界をより豊かな場所へと変えるためのパイプとしてくださるのだとしたら、それはなんと素晴らしいことでしょうか。そのような人の心には、命の水が流れ続けるでしょう。

もしかすると、長年教会に通ったり、このラジオ番組を聞いている方の中には、まだ「主イエスを救い主として受け入れる」というところに至っていない方もおられることでしょう。本当の信者にならないと聖書の真意は分からないし、実際、それを行おうにも、中途半端なのでは、と思われているかもしれません。そうかもしれませんね。そうであったとしても、こうしてラジオを通して聞いてくださっている聖書の言葉は、やはり自分の心の中だけに取っておくにはもったいない宝物です。実際、聖書はクリスチャン、またそうでない人に関係なく、数えきれないほど多くの人に多大な影響を与えてきましたし、またそういう人を通してこの世界を造り変えてきました。聖書の言葉にはどんな時でも常に人を、また社会を、世界を変える力があるからです。何よりも自分自身を変える力があります。神様の言葉というのは、その言葉の通りに生きてみなければ、それが真実なのかどうかわかりません。実際に聖書の言う通りにしてみたら、その素晴らしさをもっと深く理解できるでしょうし、また実際自分の生き方が変わってくるのを体感できるでしょう。反対に人間としての弱さを実感することもあるでしょう。そうやって、まだ完全には受け入れることができなくても、御言葉に従って生きることで、少しずつ聞く者から生きる者、信じる者へと変えられていくことでしょう。みなさまのためにお祈りをしています。

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