もったいない神様の愛

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聖書の言葉

そこにいた何人かが、憤慨して互いに言い合った。『なぜ、こんなに高価な香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上で売って、貧しい人々に施すことができたのに。』

新約聖書 マルコによる福音書 14章4節-5節

川瀬弓弦によるメッセージ

今日と来週は中央ヨーロッパにあるハンガリーからメッセージをお届けします。海外に住んでいると、翻訳しずらい日本語の表現がたくさんあります。その一つが「もったいない」です。日本は「もったいない文化」と言われることもありますね。お菓子やプレゼントの包み紙は綺麗にはがして、入れ物も一緒に押入れの中に大切にしまっておくかたも多いのではないでしょうか。一見すると「もったいない」精神は、非常にエコのようにも思えます。ところが、それはお菓子などが、「もったいない」と思えるような綺麗な箱や包み紙に包まれているから捨てられないのであって、そこには過剰包装という「無駄遣い」「浪費」が背後に必ず隠れています。

本当は必要のないものに財力を注ぐと、それは浪費と呼ばれます。私たちの愛情はどうでしょうか。愛する人や我が子に、できるかぎりの愛情をもって尽くそうとすると、ある人の目には「やりすぎ」「単なる甘やかし」と映ってしまうことがあります。果たしてそこまでする必要があるのか、と言われるきっと悲しくなるでしょう。

イエス様が十字架にかかる直前のことです。ある人の家で食事をしていると、突然一人の女性が壺に入った非常に高価な香油持って部屋に入ってきて、その壺を割ってイエス様の上から香油を注ぎかけたと言うのです。するとそこにいた何人かが「もったいない」「無駄遣いだ」と批判をしました。それもそのはずです。その香油は300デナリオンという金額。ざっと計算すると、一年分の給料にも相当するような値段だったのです。確かに「もったいない」気がします。ある人は「それを売ったら一体何人の貧しい人を救えたことか」と嘆きました。

でも、私たちは彼女がなぜこんなことをしたのか、その事情を全く知りません。ただ、彼女は心からイエス様のことを愛していたし、また深い感謝の念を抱いてそうしたことに違いないのです。あまりに非常識なやり方だったかもしれませんが、これでも足りないと思えるほどの素晴らしい何かを、彼女はイエス様から受け取ったのです。イエス様だけが彼女の深い愛とその理由を知っていました。しかし、他の誰からも理解されず、ただ批判された彼女は非常に孤独だっただろうと思います。

ただ、この聖書の箇所には、もう一人、誰からも理解されていな人物がいます。それはイエス様ご自身です。イエス様がこれから私たちのためになさろうとしていること、それは十字架の上での自らの苦しみと死という驚くべき神様の愛なのですが、誰も真剣に受け止めようとはしません。何度もそのことについて弟子たちには語ってきました。しかし、誰もそれほどの愛が必要だとは思っていません。かえって十字架の話をすればするほど、多くの人はイエス様に失望し去っていきました。神の御子であり、約束の救い主メシヤが十字架の上で死んでくださるほどの愛は「もったいない」、「やりすぎ」なのです。弟子たちがこの女性のした行為を「無駄遣い」と考えたように、イエス様の十字架の愛を、「無駄遣い」と考えている。キリストの十字架を見ても、果たして神がそこまでする必要があったのか。そこまでして罪人を愛する必要があったのか。それは単なる甘やかしではないか。それは愛の無駄遣いではないかとさえ思うのです。そこにイエス様の本当の孤独があります。

しかし、私たちは今日、問われています。もし神の独り子の十字架の死が「愛の浪費」たったと思うのであれば、私たちは自分自身の罪の重み、その深刻さを理解しているとは言えないでしょう。私たちは気づかなければなりません。十字架というのは、神の愛の大きさを示すための単なるパフォーマンスではありません。それだけの莫大な犠牲が、私たちを永遠の裁きから救うためには、それほどの莫大な犠牲が、つまり神の子の死という悲惨な犠牲が絶対不可欠であったということを表しているからです。

この女性は、本当なら少しでも十分なはずなのに、香油が入った壺を割ってしまって、イエス様の頭に注ぎかけました。一滴残らず、惜しみなく注ぎかけました。これはイエス様が私たちのために、どのように命を注がれたのかを表しています。私たちの救いのために、イエス様はご自身の全てを捧げてくださいました。十字架の上で、少しの血ではなく、罪を洗い清めるのに十分な血を、その最後の一滴に至るまで流され、それを私たちの内に新しい命として注ぎ込んでくださったのです。

これから世界中で華やかに執り行われるクリスマス。惜しみなく飾られた美しいクリスマスツリーを見る時や、愛する人、我が子のために最上級のプレゼントを用意しようとする人を見る時、「このご時世にもったいない」「浪費だ」と批判するのではなく、むしろ私たちのために惜しみなく命を注いでくださった「もったいない」ほどの神様の愛を思い巡らしてみてはいかがでしょうか。

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