本当の神が人となられた! アリスキさんの話

蒋淳吉
- 園田教会 定住伝道者
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キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
新約聖書 フィリピの信徒への手紙 2章6~8節
いきなりの質問ですが、皆さんは「ムシ」、「昆虫」はお好きですか?
皆さんの中には、子供の頃、虫が大好きで、よくいろんな虫を捕まえて観察していた、という方もいらっしゃることでしょう。
さて、今回は、アリのことが大好きな、アリスキ君のお話をしてみたいと思います。
このアリスキ君。
小さい頃からアリが好きで好きで、好きを通り越して、もう「愛している」とも言えるほど、でした。
そこで、大人になったアリスキ君は、アリの研究家、アリの博士になりました。
さて、ある日、いつものように外でアリたちを観察していたアリスキ博士は、アリの世界の中で、今、大変なことが起きていることに気づきました。
実は、アリたちの間に、ウイルス感染症がはやり始めていたのです。
しかも、このウイルスは、一度かかったら最後、どんなアリでも必ず死ぬ、という恐ろしい病気でした。
これはもう、アリたちには、どうにもできない、どうにもならないことでした。
そこで、アリ博士・アリスキさんは、大慌てで、新たに研究を始めました。
そして何とか、アリたちを救う方法をたった一つ、見つけ出しました。
それは、まず自分が本物のアリになって、アリの世界に入り込む。
そして、ウイルス感染症にかかっているアリたちに殺されて、食べられる、という方法でした。
そうすれば、アリスキさんを食べたアリは救われる、というわけです。
さぁ、人間のアリスキさんが、小さな、昆虫のアリになる…。
ちょっと…わけの分からない話になってきましたね?
とにかく、アリスキさんは、アリになることを決心しました。
アリたちをとてもとても愛していたからです。
そして、本当に一匹のアリになって、アリの世界に入り込んだ彼は、あんなに愛していたアリたちに喰い殺されました。
こうして、アリたちは救われ、絶滅せずに済んだのでした。
めでたし、めでたし。
…と、ここまでお聴きになって、「人間がアリを救うために、実際にアリになりました」というのは、あまりにも無理がある…お話になっていない、と、思われたかも知れません。
そうなんです。
そもそも、人間がアリになろうとしても、それは出来ないことですから、全く筋が通らない話だと言えるでしょう。
けれども、作り話ではありますが、その上で、あえて、皆さんにお尋ねしてみたいと思います。
「もし、あなたがアリスキさんだったとしたら、アリになれますか?」
もちろん、架空の話です。
でも、「あなたは、愛するアリたちを救うために、そして結局、アリに殺されることになりますが、それでもアリになれますか?」
…こう聞かれたら、おそらく、喜んで「はい!なります。なりたいです」と答えられる人は、私も含め、一人もいないのではないでしょうか?
実は私は、ここに、あえて筋の通らない、話にならない「アリとアリスキさんのたとえ」を用意しました。
その理由は、「神が人間になられた」ということを、皆さんに、できるだけ、リアルにお伝えしたかったからです。
人間がアリになる、というのはあり得ない、筋が通らないお話です。
しかし、それよりももっと筋の通らない、もっともっとあり得ないのが、「本当の神が、ひとりの人間になられた」ということです。
それは、人間がアリになることとは、比べ物にならない、とんでもない大事件です。
ですから私たちは、「本当の神」が、卑しい人間の姿になられた…
しかも、何の力もない赤ん坊の姿をしてお生まれになったという、その「史上最大のあり得ない事件」が起きた日、この奇跡の日を「クリスマス」として記念するのです。
使徒パウロは、今日の箇所、フィリピの信徒への手紙2章で、「キリストは、人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」と、語っています。
このように、神が卑しい人間の姿になってこの世界に来られ、死に至るまで従順であられたのは、私たち人間の罪を赦し、私たちをその罪から救うためでした。
ある神学者は、「本当の神」が小さくて弱い赤ん坊の姿をしてお生まれになったという、この奇跡について、次のような文章を残しています。
「成熟した者となるために、赤ん坊のようになった。
富む者となるために、富を捨てることを学んだ。
本当に自由な人になるために、主の奴隷となった。
賢い者となるために、十字架を受けとめる愚かな者となった。
イエスは全てを失うことによって、全てを得られた。」
そうです。
「イエスは全てを失うことによって、全てを得られ」ました。
そして、イエスが得られた、その「すべて」の中で最も大切なのは、あなたという「いのち」、あなたの「救い」です。
つまり、「イエスは全てを失うことによって、すべてを得られた、『あなた』を得られた…」のです。
神がへりくだって、卑しい人間になられたという奇跡から始まったこの「救い」が、今、あなたに「プレゼント」として差し出されています。
今日、この、救いのプレゼントの不思議さ・素晴らしさを、ご一緒に味わうことができたとしたら、本当に幸いです。
どうぞ今、あなたも、ご自分の手を伸ばして、「ありがとう!」と、人となられた神様からの救いのプレゼントを、お受け取りください。