霊的な敏感さ 太郎さんの話

蒋淳吉
- 園田教会 定住伝道者
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時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。
新約聖書 エフェソの信徒への手紙 5章16,17節
今日は、私たちクリスチャンの「霊的な敏感さ」について考え、皆様と共に恵みを分かち合いたいと思います。
初めに一つ、たとえ話をご紹介しましょう。
ある町に、「太郎さん」という人がおりました。
ある日のこと…太郎さんの住むその町に、大雨が降り始めました。
太郎さんは、いつものように家にいたのですが、町の人たちがやって来て、こう言いました。
「太郎さん、こんなところで何しているんですか?
危ないですから、早く逃げてください!」
しかし、彼は言いました。
「大丈夫です。神様が私を守ってくださいます。
それに、まだ神様から「逃げろ!」と言われていません。
本当に危なくなったら、神様が教えてくださいます。」
やがて、近所の川から溢れた水が、1階のリビングまで入ってきました。
太郎さんは仕方なく、2階の部屋に移動しました。
しばらくすると、今度は、二階の部屋の窓の向こうに、救命ボートに乗った消防隊員が現われました。
「危ないから、早くこのボートに乗ってください。今、逃げないと本当に危険です!」
しかし太郎さんは、また言いました。
「大丈夫です。いつ逃げればいいか、それは神様が教えてくださいます。
でも、まだ神様からの明確なサインがありませんから、大丈夫です。」
それでも、とうとう水が2階まで上がってきたので、太郎さんは仕方なく、屋根に上りました。
すると今度は、ヘリコプターに乗ったレスキュー隊員が現れ、上からはしごを下ろしながら言いました。
「これが助かる最後のチャンスです。早くこのはしごに上ってください!」
しかし、神様から直接「逃げろ!」と言われるのをずっと待っていた太郎さんは、ヘリコプターに乗ることも拒みました。
そうして、とうとう…溺れ死んでしまいました。
さて…死んでしまった太郎さんは、天国で神様に、文句を言いました。
「神様。何でサインを送ってくださらなかったんですか?
どのようにすればいいか、何で教えてくださらなかったんですか?」
すると、神様は、首をかしげながらこうおっしゃいました。
「いやいや…確かにわたしは、あなたに、町の人や消防隊員、それに、レスキュー隊員まで遣わして、ちゃんと『逃げなさい』とサインを送ったよ…」
もちろん、これは、全部「作り話」なんですが、キリスト者の「霊的な敏感さ」について考える時、一つの示唆を与えてくれるように思います。
使徒パウロは、今日の箇所、エフェソの信徒への手紙5章16, 17節で、こう語っています。
「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。
だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。」
パウロは、今の時代を「悪い時代」と呼んでいます。
この「悪い時代」に、主の御心をちゃんと見分けるためには、何が本当の「神の語りかけ」・「神のサイン」なのかを見極める「霊的な敏感さ」が必要です。
確かに神は、祈りの中で、また礼拝の中で説教のメッセージを通しても、語りかけてくださいます。
あなたに、「何かをしなさい」、あるいは、「何かをしてはなりません」と教えてくださいます。
しかし、それだけではありません。
時に神は、私たちが置かれている「状況」や「出来事」そのものを通しても、語りかけてくださるのです。
たとえば、ある人は、誰かから、何かに挑戦するようにと、勧められるかも知れません。
また、ある人は、自分とは全く縁がないと思っていた人と知り合い、なぜか、その人の世話を頼まれるかも知れません。
また、ある人は、説教の中で印象的だった御言葉に、全然、別の場所で再び出会う、という、不思議な、あるいは、よく分からない体験をするかも知れません。
そのような時こそ、その人の「霊的敏感さ」が問われます。
今、自分自身に起きた出来事や、置かれている状況の中に、「神の語りかけ」・「神のサイン」があるかどうかを見極め、受け止める「霊的な敏感さ」です。
言い換えると、私たちは「いつも霊的なアンテナを、しっかりと張っておくこと」が大切なのです。
たとえば、もしかしたら、最近あなたが置かれているその状況は、あなたが足を一歩踏み出すように…動き出すようにと、あなたの背中を押す「神からの語りかけ」かも知れません。
人間的な観点からみると、動き出すタイミングとしては、相応しくないように見えるかも知れません。
一歩踏み出そうとするあなたを、周りの人が引き止めようとするかも知れません。
しかし、ここでポイントとなるのは、それがタイミング的に良いか、悪いか、ではありません。
その状況や出来事の中に、確かな「神の語りかけ」・「神のサイン」があるか、どうかです。
もし、それが「動きなさい」というサインなら、私たちは、自分に示されたその方向に向かって、動き出すことが出来ます。
あるいは逆に、「まだ待っていなさい」というサインならば、辛抱づよく待ち続けることが出来ます。
どうか、今もあなたに向けられている「神の語りかけ」に耳を傾けてください。
実はあなたは、その「神からのサイン」を、「キリストへの時間」、このラジオ放送を通して、「すでに」お聴きになっているのかも知れません。