聖書の言葉は命の水

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聖書の言葉

あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

旧約聖書 申命記 8章2,3節

保田広輝によるメッセージ

(音声は藤井真牧師による代読でお届けします)

みなさん、おはようございます。私は余命宣告のある難病を抱えていて、人工呼吸器を使って生活しているのですが、今はコロナ禍の世の中なので、ほとんど外出できない日々を送っています。そして、半年ごとに病が進行していくので、私はよく試練について考えます。そこで今日は、聖書によく出てくる『荒野』という言葉から、私が思ったことをお話しさせてください。

福音書を読むと、イエスキリストは、どんなに忙しい時も、ひとりで荒野に行かれて、毎日たくさんお祈りしていたことが分かります。それは、父なる神様と親しい交わりの時間を持ち、神様の声を聞くためであり、神様の心を知るためでした。

私たち人間は、なるべく荒野のような場所を避けて、居心地の良い場所で休み、自分の力で生きようとしてしまいます。世の中と同じ価値観で人生を歩もうとするのです。

でも、神様は私たちを人生の荒野へ導きます。隠れていた罪の性質や、自分すら気付いていなかった傲慢な心、怒り、といった日頃は浮かび上がることのない、心の奥にあるものが、人生で追い込まれた時にあらわれます。神様はそんな古い性質を打ち砕き、私たちを造り変えてくださいます。荒野で神様に取り扱われて、新しい自分に養われていくのです。

また、荒野は神様の恵みの豊かさを知り、安息を味わう場でもあります。旧約聖書に書かれていますが、荒野でイスラエルの民が天からのマナで養われたように、私たちも父なる神様が守ってくださることを知ります。慈しみ深く失敗されることのない神様が、イスラエルの民を荒野に置かれました。神様がそうされたので、人間には苦しく理解できないことであっても、荒野は祝福の場所なのです。

でも、イスラエルの民は、神様の深い愛を理解できませんでした。神様の恵みを多く受けたにもかかわらず、彼らの生活は不平不満だらけでした。人間の大きな問題は傲慢です。傲慢な心が、神様の恵みを分からなくさせて、欲望と不平不満でいっぱいにさせてしまいます。でも、人は試練に出会うと、謙遜になります。食べたい時に食べられず、飲みたい時に飲めなければ、人は限界にぶつかるからです。試練の期間があるからこそ、神様の恵みが身にしみると思います。

神様は、私たちを「荒野」に導き、それが苦しくて大変であることを知っておられても、私たちを訓練されます。今までの考え方、習慣、生活をきれいに整理させ、私たちを通して、神様の栄光を現わすようにされるのです。神様は私たちを今のままの水準に置いてはおかれません。父親が愛のゆえに子供を教育するように、神様は私たちを励まし、訓練させ、チャレンジさせて、神様が望まれる人格を作り上げるまで教育されます。

そして「荒野」は、ヘブライ語で「神様の声を聞く場所」という意味があります。神様が私たちを荒野に導くのは、最高の理由があるからです。神様ご自身が私たちと2人きりになりたいのです。

荒野は、神様とのデートコースです。私たちが神様の声を聞きたいと願う以上に、神様はご自身の声を聞かせたいと願っておられます。でも、私たちは日常が忙しく、疲れているので、声を聞き取りにくいのです。だから、神様は私たちと2人きりになれる荒野へ連れ出すのです。

ちなみに荒野は、『水』が流れるなら、人が生きることができる豊かな土地に変わります。神様が私たちに与える『水』がわき出る場所は、荒野です。何もない荒野にいるような試練の中で、『命の水』である聖書の言葉が与えられるのです。

神様が私たちに試練を与える目的は、何もない環境の中で、父なる神様に立ち返り、私たちの人生が聖書の言葉によって回復させられて、神様に礼拝と賛美をささげるようになるためです。そして、自分のために生きるのではなく、神の国と神の義を求める人生を生きるために、試練が必要なのです。

大切なのは、試練がすぐに終わることを願うのではなく、荒野にいるような試練の中で、飢え渇いて神様を求め、『命の水』である聖書の言葉を受け取って、神様の心を自分の心とすることです。

人生の荒野を通して、私たちは謙遜になります。そして、聖書の言葉を通して、いつも神様が私たちと共におられることを体験するならば、荒野はとても意味のある場所になります。神様を信じる人の視点は、「私が、世の中が、こう言っている」ということではなく、「聖書の言葉が何を言っているか」に合わせることが大切だと思います。聖書の言葉を通して、父なる神様の心を感じることができるからです。

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