聖書の言葉
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
新約聖書 フィリピの信徒への手紙 4章6,7節
長谷部真によるメッセージ
使徒パウロは遠く離れたフィリピの教会の信徒に宛てて、励ましの言葉を贈りました。使徒パウロは投獄され、明日をも知れぬ日々を過ごしていました。一方フィリピの教会の人々も、交わり内外、様々な試みの中にありました。私たちは日々の歩みの中で、不安に思ったり、恐れることがあります。不安や恐れは様々です。学校や職場での人間関係、試験や仕事のトラブルなどの差し迫った試み、どうしようもない状況に追い詰められることがあります。そのようなとき、私たちの心は不安や恐れで心が満たされることがあります。
私は大学受験の時に、それまで経験したことのない不安に苛まれたことがありました。夜も昼も眠れないことがありました。私は1度受験に失敗し、1年間の浪人生活を送りました。2度目の受験を前に、もう失敗はできない。私は極度のプレッシャーを受け、不安に駆られ、夜が来るのも朝が来るのも恐ろしい、そんな思いで満たされたことがありました。入試の日が近づくにつれ、不安は強まり、不安定な日々を過ごしていました。その中でいつも励ましてくれたのが、家庭礼拝での聖書の御言葉でした。家庭礼拝の中で語られる励ましが、私の心を支えてくれたように思います。とりわけ、御言葉と共にいつも語られた、「大丈夫、大安心」という言葉が私を励ましてくれました。この言葉は私の家族が、同じく不安にあったとき、あるクリスチャンの方から口癖のように語られた励ましの言葉です。「大丈夫、大安心。」結果として、私の受験は私が志した通りに成功したとは言えません。しかしあのとき、試練を前に不安に押しつぶされそうになったとき、家族と共に祈り、私の不安や恐れ、重荷があることを神様に打ち明けたとき、すべてのことをご存知の神様が共にいてくださることに気付かされました。また同時に、私が祈れないときに、共に祈ってくれる兄弟姉妹がいることに気付かされました。
教会では信仰を同じくする教会の方々のことを「兄弟姉妹」と呼び合います。それは使徒パウロは、遠く離れた不安の中にある教会の兄弟姉妹に、「どんなことでも思い煩うのはやめなさい」と励まします。それは主イエスが弟子たちに「思い悩むな」と教えたからです。私たちが生きているこの世界を創造された神様の御手の中で、私たちは生かされている。そしてその神様が私たちの祈りを今もなお、休むことなく聞いてくださる。その祈りの中で、神様は私たちの思いを超えたところで導いてくださる神様が、キリストを通して私たちを不安や恐れから守ってくださる。それが、使徒パウロを通して語られた神様からのメッセージです。
教会の屋根には、十字架が掲げられています。それは神様が私たちに示してくださった「大丈夫、大安心」のメッセージですね。私たちは日々の歩みで疲れを覚え、重荷を覚えます。その私たち一人一人をイエス様は、「わたしのもとに来なさい」と招いておられます。「大丈夫、大安心」そのように励ましてくださる神様が、御言葉を通して語りかけておられます。
新しい一週の歩みに、主なる神様の祝福が豊かにありますように。