命の回復のために

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聖書の言葉

自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

新約聖書 マルコによる福音書 8章37節

常石召一によるメッセージ

今から10年程前になりますが、私が会社勤めをしておりました時、父が認知症になりました。それを追いかけるように母も認知症になりました。二人ともそれまで当たり前に出来ていたことが徐々に出来なくなっていきました。穏やかだった父は苛立つことが多くなりました。そのような父を母は受け入れることが出来ず、夫婦仲もギスギスしたものになっていきました。私はそれまで父と母が言い争っている姿を見たことがなかったのですが、しょっちゅう衝突するようになりました。両親には穏やかな老後を迎えてもらいたいと思っていましたが、現実はそれほど簡単なものではありませんでした。

それまで両親にはいろいろな苦しいことがあったはずですが、その苦労を子どもたちに見せることは一切ありませんでした。しかし人生の最後を迎えるにあたっての試練は子どもに隠せない、夫婦では負いきれないものでした。私にはそれが余りにも大きいと感じられ、これは大変なことになると思いました。人はそれぞれ、普段はまるで何でもないかのように過ごしているけれども、実際は負いきれないものが一人一人を覆い、また世界全体を覆っていると感じました。

父は昼と夜の区別がつかなくなり、またじっとしていられず徘徊することが増えました。頻繁に道路脇の溝に落ちてけがをするようになりました。そんなある夜、家から出たがる父と一緒に外を歩くことにしました。家の周りは父にとって見慣れた所、何度も歩いた所だったはずですが、その道さえ全く分からなくなっていました。それでもおぼつかない足どりで懸命に早く歩こうとするのです。苛立ちを抑えようとしている、あるいは何かを捜そうとしているように感じられました。私はそれを見ていてとても哀しくなり、父の気分を紛らわすだけでも良い、何か出来ないだろうかと考えました。

父は歌が好きでした。親族が集まった時には高知県出身でしたので良く「よさこい節」を歌っていました。それを思いだし、父と一緒に歌を歌ってみようと思いたちました。夜の10時を回っていました。住宅地の真ん中です。まさに寝ようとしている方、寝ていた方もいたでしょう。迷惑をかけるなと思いましたがとにかく私たちには突破口が必要だと思いました。私は父が歌ってくれるのを待ちながら歌いました。しかし父は歌ってくれません。歌うことすらも出来なくなったのか、このように楽しみも一つ一つ失われていくのかと益々侘しい思いになりました。

それでも諦めきれず、父が好きだった讃美歌494番を歌ってみました。もう息子である私の名前すら忘れてしまっていましたのであまり期待しないようにと自分に言い聞かせました。すると思いがけないことに父が一緒に歌ってくれたのです。この讃美歌の歌詞は忘れていなかったのです。それはこういう歌詞です。「わが行くみちいついかになるべきかはつゆ知らねど、主はみこころなしたまわん。そなえたもう主のみちをふみてゆかんひとすじに」。この讃美歌は、私たちの生涯がいつどうなるかは分からない。しかし私たちの歩む道は主なる神様があらかじめ準備をなさっている。だから必要以上に恐れを抱かずに歩んで行くことが出来る。そのように歩むことが出来る幸いを歌い、そして神様にお任せして歩んで行こうと決意する歌です。

私は父と二人で何度もこの讃美歌を歌いました。嬉しくなって、ご近所には申し訳と思いながら、つい声が大きくなってしまいました。

父はいろいろなことを忘れてしまったけれども最も大切なことは忘れていなかった。もちろんこの歌詞も間もなく忘れてしまう。一緒に歌うこともなくなる。しかしそれでも大丈夫だと思いました。人間の言葉、考え、能力を越えて神様は本当に大切なものを与えて下さっているのだと知らされたからです。だから安心することが出来る、安心しなければならないのだと思いました。

この世には絶望が満ちている、重いものが人生を覆っていると感じられることは確かにあります。しかし神様はそのような私たちを見過ごしたり、放り出したりはなさいません。その証拠に御子イエス・キリストが私たちの元に遣わされ、命までも差し出して下さいました。私たちの命のためにそれほどの犠牲を払って下さっていたのです。虚しさを覚える時にこそイエス・キリストがなさったことに目を向けることが大切だと思います。私たちの内には不安しかなくても、破滅の恐怖しかなくても、私たちの命の回復のために代価を払って下さっていたのです。私たちが安心出来る根拠を与えて下さっていたのです。そのことに目を向けるために教会の礼拝に足を運んで下さいますように。

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