本当の損と得とは

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聖書の言葉

人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。

新約聖書 マルコによる福音書 8章36節

常石召一によるメッセージ

この言葉はとても有名です。聖書にあまりなじみがなくても、目にしたり耳にしたことがあるという方がおられるのではないでしょうか。私は昔、カーブの急な道路でこの言葉を見たことがあります。「スピードの出し過ぎに注意」という標識の下にこの言葉が記されていたのです。なかなかインパクトがありました。スリルを楽しむことよりも、早く目的地に着くことよりも、命が大切。ドキッとして、思わずアクセルへの力を緩めブレーキペダルに足を移した人もいたのではないでしょうか。

さてこの世の中には信じられないほどの財産を持っている人がいます。私たちがいくらまじめに頑張ってもそんな額を得ることは到底出来ないと思われる、そういう人たちです。彼らはどのようにしてそんなお金持ちになったのか、私たちはついそんな話に興味津々となり、少しはあやかりたいと思います。その財産のごく一部でも手にしたら自分はどうなるだろう、生活はどう変わるだろう、どのような物を買うだろうか、何をしようか、そんなことを空想するのが楽しくなってしまいます。

一方で、私は大変な資産家が亡くなったという新聞記事を読んで違和感を覚えることがあります。人が死ぬというのは当たり前のことです。死なない人はいないのです。しかしどうも不思議な気がしてしまうのです。あれほどのお金を持っていれば、優秀な医療スタッフをそろえ、最高の医療施設に入って最先端の治療を受けることが出来たはず。確かにそれで一時的に寿命は伸びたかも知れませんが、結局死なないようには出来なかったのだな、と改めて思うのです。そのことに不思議な感じを覚えるのは、莫大な富というものに対して私自身期待を抱き過ぎてしまっているからなのもしれません。

そのような私たちに呼びかけるのがこの言葉なのです。その中でイエス様は「たとえ全世界を手に入れても」と言っておられます。全世界はお金に換算するとどれほどの価値があるのでしょうか。想像も出来ない額でしょう。けれどもそもそもそのようなことは出来ないし、するべきでもない。世界は人間の所有物になるために造られたものではないからです。しかし私たちはもし「全世界が手に入る」という可能性が目の前に示されたら思わず手を出したくなるのではないでしょうか。「全世界をこの手におさめることが出来たらどれほど気持ちがいいか」とつい想像力をたくましくしてしまうのです。

イエス様は「たとえそれを手に入れても『自分の命を失ったら、何の得があろうか』」とおっしゃいます。答えは明白です。命を失ったらいくら財産を持っていても何の得にもならないのです。財産を子孫に残せるかもしれない、それを寄付することによって社会に貢献することが出来るかもしれない。そうであっても全てはもうその人のものではなくなるのです。

イエス様はここで「得」という言葉を使っておられます。損得の得という言葉です。一般的に「損得勘定」というと、計算高く欲が深いというイメージがあるのではないでしょうか。イエス様はそういう言葉を使われるのか、と違和感を抱かれるかもしれません。しかし何が得で何が損なのかということの判断は生きていく上で大切です。それが正確に出来れば、どれほど良いでしょうか。実際は私たちはなかなかそれが出来ません。目先のことに惑わされて、感情に振り回されて、正しく判断出来ずに結局は損になることを選んでしまうということがあるのだと思います。

ここでイエス様がおっしゃっているのはそういうこと以上に究極的な視点に立って損得を考えなさいということです。死を迎え、人生の終わりを迎えたその時に、本当に自分にとって得になっていることは何か。死んでしまえば取り上げられることになってしまう財産を持つことなのか。そのようにイエス様は問うておられるのです。

イエス様が「全世界を手に入れることと、自分の命を失うこと」という二つのことを同じ土俵に置かれるのは、私たちが目に見えるものに目がくらんで自分の命を失うことが無いようにしてもらいたいと思っておられるからです。イエス様は、私たちの命が損なわれないようにとの願いを込めておられるのです。

イエス様は私たちの命のために私たちの身代わりとなってご自分の命を差し出して下さいました。それほどまでに私たちの命を大切なものと見て下さっているのです。「人の命は地球よりも重い」などの言葉が語られます。一方で余りにも軽く人の命が扱われている現実があります。しかし、このイエス様が私たちのためにして下さったことの中にこそ私たちの命が示されているのです。イエス様が与えようとして下さっているものは健やかな永遠の命です。イエス様のお言葉、お姿の中に私たちの尊い永遠の命がある、そのことを見るために今日お近くの教会に是非お越しくださいますように。

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