イエス様の光に照らされてみませんか

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聖書の言葉

あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。(中略)しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。 明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」

新約聖書 エフェソの信徒への手紙 5章8,13,14節

保田広輝によるメッセージ

みなさんは、光という言葉を聞いて、どんなことをイメージされるでしょうか。もうすぐクリスマスなので、色々な所で華やかなイルミネーションが催されていますが、そういうものをイメージされるかもしれません。

私は光と聞くと、暗闇という言葉が思い浮かびます。真っ暗な場所で灯りがあると安心するように、光は暗闇の中で輝くからです。先ほどお読みした箇所には、「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、」とあります。私たち人間はみんな、暗闇という性質を持っています。聖書はそれを罪と言います。でも、自分が罪人である、と言われて、うなずける人は少ないと思います。

でも、心の中で、ほんの少し悪いことを思うだけでも罪を犯したことになる、と聖書は言います。神様は私たち人間の全てをご存じですから、心の中まで探られたら、言い訳できないと思います。また、罪の結果が死ぬことである、と聖書は言います。死なない人は誰もいません。私たち人間は、自分を罪と死の苦しみから救い出すことはできません。私たちは暗闇です。生まれながらの罪人なのです。

今日の箇所には、光という言葉がたくさん出てきます。ここで言う光とは、罪人である自分の存在が明らかにされる光です。私たち人間は、自分が生まれながらの罪人であることや、死は罪がもたらしたものであること、に気付きません。でも、神様の独り子であり、光そのものであられる主イエス・キリストの光に照らされるとき、私たちを罪と死から救うために、十字架で死なれて、お墓に葬られて、3日目に死人の中から復活された主イエス・キリストの光に照らされるとき、自分が暗闇であり、生まれながらの罪人であることが明らかにされるのです。そして、このイエス様の救いの光によって照らされる人はみんな、暗闇から光の子に変えられるのです。

今日の箇所には、「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。」ともあります。光がない暗闇の中で眠っているというのは、死んでいることと同じだと思います。私たち人間は、暗闇の中で眠っています、罪が原因で必ず死にます。でも、私たちを救うために、神様は独り子である主イエス・キリストをこの世に遣わされました。そして、イエス様は、私たちの罪を背負って十字架で死なれ、お墓に葬られて、3日目に死人の中から復活されたことによって、罪と死の力を滅ぼしてくださいました。イエス様が与えてくださる救いを信じるとき、私たちは光の子に変えられます。死者の中から立ち上がり、死から復活する新しい命が与えられるのです。

ちなみに、私はデュシェンヌ型筋ジストロフィーという治療法のない難病を抱えています。いま24歳ですが、ドクターから余命は残り10年と告げられています。いま身体は手の親指だけしか動かせず、電動車椅子と24時間ずっと人工呼吸器を使って生きています。病の進行によって、身体は動かせなくなりましたし、確実に死が迫ってくるのを身体で感じるのは、まさに暗闇です。でも、イエス様を信じる私は光の子に変えられています。死から復活する新しい命に生きています。

そして、イエス様が与えてくださる光には揺るがない喜びがあるのです。いつか消える喜びではなくて。苦しみの中でも喜べる喜びです。どのような時も喜べる喜びです。私は若く死ぬ難病の人生でも、心は喜びに溢れています。いつもイエス様の光に照らされているからです。暗闇から光の子に変えられているからです。

もう少しでクリスマスを迎えますが、神様の独り子である救い主イエス・キリストがこの世にお生まれになったことをお祝いする日がクリスマスです。24日には、全国のあらゆるキリスト教会でクリスマス礼拝が行われます。クリスマス礼拝に足を運ばれて、イエス様の光に照らされてみませんか?

最後に、ZION PRAISEの「主イエスは私の光」という賛美をお聴きください。

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