わたしを変えた聖書の言葉

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聖書の言葉

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

新約聖書 マルコによる福音書 2章17節

八尋孝一によるメッセージ

私は、キリスト教と全く無関係な環境に育ちました。家族にも親戚にも一人もクリスチャンはおらず、通った学校もキリスト教系の学校は一つもありません。そんな私が、こうしてキリスト教のラジオ番組に出演させていただいているというのはとても不思議な気がします。

私が初めてキリスト教と接点を持ったのは中学1年生のときでした。ある日、同じクラスの好きだった女の子からプレゼントをもらったのです。その女の子がおずおずと差し出してくれた紙袋を受け取った私は、その袋をすぐその場で開けたかったのですが我慢して、中に何が入っているのかあれこれ想像しながら、学校の帰り道、いつも通る橋の上でその紙袋をあけました。中に入っていたものは・・・キリスト教のパンフレットでした。「あなたも教会に行きましょう」「キリストはあなたの救い主」、たぶんそんなことが書いてあるキリスト教のパンフレットが何十枚も束になって入っていて、それ以外は何も入っていません。期待を裏切られた悔しさで、私はパンフレットを袋に戻すと、一枚も手にとって読むことなく、袋ごと橋の上から川に捨てました。ゆっくりと川の上を紙袋が流れていく光景を鮮明に覚えています。

その後、私はかなり無理な勉強をして、福岡でも有名ないわゆる進学校に合格しました。そこまではよかったのですが、いざ高校に入学してみると、周りは優秀な者ばかり。勉強も運動も、自分などとてもかないません。自分は何てつまらない人間なのか、たちまち私は劣等感のとりこになりました。何か自分をもっと根っこのところで支えてくれるものはないのか。それを探して宗教書や様々な人生論の本を読みあさりました。

そんなある日、学校の帰り道に、電柱にくくりつけられた一枚の看板をみつけました。その看板には「キリスト教春の特別集会」とありました。これまで気がつかなかったのですが、家から歩いて3分のところに教会があったのです。その教会が、初めての人にもわかりやすいキリスト教の集まりをする…その看板をみたとき、私は不思議にも迷わず「行こう」と思いました。そして17歳の春、生まれて初めて教会という所にいき、キリスト教というものに触れました。

初めて出席した礼拝で、牧師はこんなことを語ってくださいました。「今の人達は、自分と周囲の人を比べる横の関係ばかりを気にして、自分と神様との縦の関係を見失っている」…当時自分と周囲を比べ、劣等感に苦しんでいた私にとって、牧師の言葉は「まだよくわからないけれども、ここには何かがあるかもしれない」と感じさせるものでした。それから私は毎週日曜日、教会の礼拝に出席し、自分でも聖書を買って読み始めました。

最初のうちは、何か特別新しいことが始まった気がしてとても心地よかったです。しかし、だんだん苦しくなってきました。聖書を通して、これまで気がつかなかった自分の醜い部分、汚い部分が少しずつ見えてきたからです。たとえば聖書の中に「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共になきなさい」という言葉があります。しかし、その通りには出来ない自分がいます。喜ぶ者がいたらねたましく思い、泣く者がいたらいい気味だと思ってしまう自分がいるのです。認めたくないけれども、それも確かに自分です。私は、これまで気にしてこなかったもう一つの自分の姿を見せつけられて、もう自分には教会に行ったり聖書を読んだりする資格はないと思いました。

そんなときに、先ほどお読みした聖書の言葉と出会ったのです。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」この言葉が私のいちばん深いところを貫きました。この言葉に出会ったとき、イエス=キリストというお方が私にこう語りかけてくださっているように感じたのです。「そうだ、あなたは自分で自分の罪をどうすることもできない。しかし、そんなあなたを招くためにわたしはきた、そのために来たのだ。私のところに来なさい。」・・・実際に声が聞こえたわけではありませんが、主イエスというお方がこんな私でも、いやこんな私だからこそ招いておられるとはっきり感じました。涙が溢れてとまりませんでした。そしてその年のクリスマス、私は洗礼を受けてクリスチャンになりました。

あの聖書の言葉との出会いが私の人生を変えました。でも私は、自分で探し求めた末にこれを見つけたとは思っていません。むしろ私自身が、神様に見つけていただいたと思っています。キリスト教のパンフレットを川に投げたあの日から、いやそれよりもっと前から、神様が私を導いてたぐりよせてくださったのです。今も神様は、聖書の言葉を通じて私を慰め、力づけ、時に戒めて下さいます。今もなお、神様は聖書の言葉を通じて生きて働いておられます。その神様が、今日放送を聞いておられるあなたも招いておられます。「私のところに来なさい」と呼んでおられます。どうぞそのお招きにこたえて、お近くの教会の礼拝に出席してみてください。あなたの人生を変える出会いが、そこに待っています。

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