神さまの種

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聖書の言葉

神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。」

旧約聖書 創世記 1章29節

赤石めぐみによるメッセージ

スイカ、メロンや桃、もう少ししたらブドウやナシの季節。いろんな種を持つ果物がありますね。果物の種、食べるときに面倒なので、ないほうがいいと思う方も少なくないと思います。種は厄介者。それで、いろいろと人間の手で操作して、種なしの果物がつくられています。

野菜の種のこと、ご存じですか。今スーパーで売られている野菜のほとんどは、商品として扱いやすく優良なものだけが一代限り実るようにして、それっきり子孫を残せなくされた種から育てられたものだそうです。家庭菜園で野菜を育てていたとしても、ホームセンターで売られている種は、ほとんどそういう一代限りで種取りができない、とれても最初まいた時のようにうまく育たない、命が受け継がれていかない種なのです。そういう種をつくるために、どんなに暴力的な仕方で野菜や虫たちに種をつけさせているか、ご存じですか?わたしはそれを知ってショックだったのですが、もし人間がそこに入れられたら、息ができず、気が狂うような状態のハウスの中で作られているのです。

んー、別に、安くて大きくて食べやすければ、種のことなんてどうでもいいわ、と思われるかもしれません。それでこういう野菜や果物や穀物が生産され続け、私たちはそれを食べ続けている。他方で、不妊症や、人との関係をうまく作れなくて精神を病む人、発達障害をもつ人の数が増え続けており、こういう食べ物との関連性を唱える人もいます、種のないもの、次に命をつなげない種から育ったもの、効率よく生産量をあげるために強烈なストレスをかけて生ませたものを食べ続けているからだ、と。皆さんはどうお感じになりますか?

今日は、どうしても種と食べ物のことを聖書からお話ししたいと思いました。

神さまは世界を創られたとき、こうおっしゃいました。「全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる」。

「種を持つ草と種を持つ実」。原文では「種を種出す草と種を種出す実」というふうに、もっと「種」が強調されている言い回しです。「種」の動詞形があるのです。種には命が宿っている。

私はいろんな野菜を種から育てて初めて目の当たりにしましたが、種をまくと、まず根が出てきて、次にむっくりと芽を持ち上げて起き上がってきます。芽生えのときには特に強いパワーを感じます。そして、あんなに小さい種がこんなに大きく強くなるのか、たった一粒でこんなにたくさんとれるのか、と驚かされるほどの命の力を見せてくれます。スーパーで実だけを見ただけでは想像がつかないかもしれません。

私たち人間も「種」から生まれています。大きななりをしていますが、そして心も尊大になりやすい者ですが、私たちも本当に小さな種から大きくしていただいたのです。それを意識しながら詩編139編を読むと、新鮮な驚きを感じます。「あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられている」。こういう私たちの体の成長のために、神さまは「種を持つ草と種を持つ実」を食べ物として与えてくださったのでした。本来、命のパワーを豊かに宿している食べ物を、です。そういう野菜や果物、穀物を食卓に取り戻したいものです。

さらに神さまは、私たちの心が、自分自身を満足させることよりも、神を愛し、人を愛して、互いに平和に生きることができるようにするために、たった一つしかない種をまいて、それを食べやすくパンにして与えてくださいました。

神の民イスラエルが神さまに背き続けていたときに、ホセアという預言者が神さまから子どもの名前として「イズレエル」という言葉を受け取りました。「イズレエル」は、神が種を蒔く、という意味です。「恵みの業をもたらす種をまけ」、「愛の実りを刈り入れよ」(ホセア書10:12)と命じられてもそれができない神の民イスラエルのために、神さまご自身が種を蒔く、という約束の言葉です。この種とは、イエス・キリストのことです。

イエスさまが話してくださった例え話の中に、種のたとえがいろいろあったことをご存じの方も多いでしょう。あれはけっしてイエスさまの思いつきではなく、父なる神さまの約束の言葉を踏まえておられたわけです。「恵みの業をもたらす種」「愛の実り」を実らせる種を父なる神さまご自身がまかれた。父はあなたがたを救うためにわたしをあなたがたの中にまかれたのだ。「一粒の麦は、地に落ちて死なねば一粒のままである。だが、死ねば多くの実(豊かな実)を結ぶ」(ヨハネ福音書12:24)。そうおっしゃって、十字架の道を進んでゆかれたのでした。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(同15:13)。そういうイエスさまの愛によって立ち直ることができた弟子たちが、世界中に、そして私たちの時代にいたるまで、イエスさまの愛に生きる種をつなぎ続けてくれたのです。イエスさまの「わたしが命のパンである」という言葉も、これでよく意味がわかるのではないでしょうか。神さまご自身がまかれた種をひいてできたパンであるイエスさま。神さまが心を砕いて、こんなに食べやすいように私たちのために備えてくださった真の食べ物。これを食して、私たちの中に愛の心が芽生え育つのです。

私たちは、何を食べて生きていくべきか、もっと意識的になりましょう。神さまが驚くべきものに造り上げてくださったこの命を豊かに全うするために、そして、また次の代へとつないでいくために、私たちは、神さまが与えてくださった「種を持つ草と種を持つ実」そして、神さまご自身が蒔いてくださった「愛の実り」を実らせるたった一粒の種、その麦でできているであろう「命のパン」、イエス・キリストを食べさせていただきましょう。3度3度の食事でこれらのことを意識するなら、私たちの心と体の調子が改善されないはずはありません。

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