探して、満たして下さる神様
金主恵
- 板宿教会 定住伝道者
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イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
新約聖書 マルコによる福音書 6章34節
韓国のある教会の青年部の部室前に、透明なアクリル板が置かれました。その板に、質問が一つ書かれていました。「あなたにとってイエス様とは?」マーカーペンで、青年たちが書き始めていきます。
「永遠の愛、私のお父さん、力、頼れる方、道標、喜びであり悲しみ、いつもそばにずっしりとおられる方、王様、スーパーマン、真の光、指導者、感謝・・・」。答えには何一つ間違いはありません。様々な仕方で一人一人に出会ってくださった主イエスを知る恵み溢れる時間になったと思います。動画で見た私さえも恵みを受けました。いかがでしょうか。「皆様にとってイエス様とはどんなお方ですか。」
今朝は羊飼いである主イエスを共に知っていきたいと願います。
主イエスは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という言葉をもって宣教活動を始めました。そして、6章では12人の使徒たちを2人ずつ組みにしてガリラヤの村々へと派遣します。主イエスに力を与えられ、主イエスによって遣わされた12人の使徒たちは、宣教の働きから帰り、全てを報告し合いました。その彼らに主イエスは言われます。
「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
宣教から帰った後も多くの人々が主イエスを求め、その弟子たちを求めました。ですから、主イエスは羊飼いとして、使徒たちを「人々が住まない荒れ野」へ向かわせます。なぜなら、まず休むことを望まれたからです。聖書の「休む」は、「ある物事を途中でやめる事」を指すと同時に、「新しい力を頂き、元気づけてもらう事」を指します。主イエスは働きと奉仕に没頭し、燃え尽きることを望んでいません。主イエスは、むしろ神の国のために、より誠実に果たすことができるように、再充電の休息を必ず与えられるお方です。
休息を取るために、主イエスと弟子たちは舟に乗って荒れ野に向かいましたが、その様子に気づいた多くの人々が町から一斉に駆け付けて、先に荒れ野に到着します。ただ「足」だけで、先に到着したのです。それほど彼らは主イエスを求めていました。日々の生活の中で頼るものが見つからず満たされない心、絶えることのない悩みと傷を抱える彼らにとって、生きる喜びを教える主イエスは希望であり、真の飼い主でした。「飼い主」とは、羊のために自分の命を献げる真の指導者を指します。
主イエスは、全く嫌がらず一人一人を深く憐れみました。内臓がはち切れるほど、到底抑えることのできない愛おしさであふれていました。それ故、羊たちのために神の国、真の平安と決して飢え渇くことのない命であるご自身を伝え、御自身のもとへ招き、満たしてくださったのです。決して放っておかれませんでした。
今を生きる私たちも、疲れ果て、目的を見失い、心の渇きを絶えず覚える存在ではないでしょうか。誰にも言えない悩み、悲しみを抱えていませんか。そんな私たちもまた「羊」です。この私たちのために、真の羊飼い、約束されていた救い主主イエスキリストが来て下さいました。さまよう私たちを探し続けて下さって、私たちの想像をはるかに超える仕方で、愛で満たして下さいます。何度も何度も主イエスを疑い、信じることができなくなってしまっても、その大きな無条件の愛を受け取ることができなかったとしても、たとえ忘れたとしても、その私たちに何度も何度も訪ねてきてくださるのが主イエスキリストです。深い憐れみをもって、放っておかれません。どんな時も、どんな状況であっても私たち一人一人を探し、満たして下さる羊飼いがおられます。必要な力と休息を与えてくださる羊飼いです。その無条件の愛に信頼して、他の人々と比べるのではなく、見下すのではなく、共にその愛に生かされている喜びを感じ、互いに祈り合いながら与えられた旅路をこれからも歩んで参りましょう。与えられた安息日の上に、新しい七日の旅路の上に主の愛と祝福が益々豊かにありますように。