生まれたばかりの乳飲み子のように

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聖書の言葉

生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。

新約聖書 ペトロの手紙一 2章2節

宮﨑契一によるメッセージ

おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。いきなり私の話で恐縮なのですけれども、私の家には昨年女の子が生まれました。初めての子供です。生まれたばかりの赤ちゃんを見ていると、本当に驚かされることが多くあります。人間とは別の生き物のように思うほどです。日々、新しい顔、新しい成長を見せてくれるのです。

親はその成長の速さに、喜んだり、戸惑ったりするばかりです。子供の成長についていくのが必死というのが、今の自分自身の生活のように思います。赤ちゃんは、まだほんの小さな存在ではあるのですけれども、その存在に右往左往する日々です。ラジオを聞いておられる方で、同じ経験をされた方もおられると思います。時に、この子にどう向き合っていけば良いのか、父親として悩ましく思うこともあります。

その中で、これは面白いことだと思うのですけれども、聖書の中には何度か、人が生まれたばかりの乳飲み子のようになることが言われます。聖書には「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです」という言葉があるのです。

生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。混じりけのない霊の乳、とは、ただの乳のことではありません。霊の乳とは、その人の内側を養う、霊的な聖書の教えのことです。生まれたばかりの乳飲み子のように、この混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです、と聖書の教えを受けることが、乳を飲むことにたとえて言われるのです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、一言で言って、この上なく純粋な存在です。当たり前かもしれませんけれども、赤ちゃんは他人を傷つける悪意がありませんし、他人に偽りを考えることや、ねたみや憎しみの思いを心に秘めることもありません。お腹が空いたり、不快な思いをすれば泣く。気持ち良ければ機嫌の良さそうな顔をする。本当にその時々に、素直に純粋に嘘偽りなく表情に表すのです。

そしてミルクを飲む時に、この子は本当に真剣な姿になります。私は赤ちゃんを見ていて、この時の姿が一番印象的です。子供にとって、ミルクは食べ物ですから、それは本能的に必要なものです。哺乳瓶を近づけると、彼女は全力でそれを吸います。たとえそれまで泣いたりぐずったりしていても、ミルクを口に入れた途端、泣くこともをやめて、懸命にそれを吸い出すのです。一度それを吸うと、ちょっとやそっとのことでは哺乳瓶を離そうとしません。よほどのことをしなければ、この子はそれを止めることをしないのです。

子供への可愛いさからか、私はこの子がミルクを飲んでいる時に、ついついこの子の顔を少し触ったりしたくなることがあります。飲んでいる赤ちゃんにとっては迷惑行為でしかありません。飲むことを妨害する行為です。しかし私が触っても、この子はかえって懸命に目を見開きながら吸い続けるのです。吸うことを止めようとしません。赤ちゃんは本当に色々な顔を見せてくれて、時に悩まされることもあるのですけれども、私はこのミルクを吸い続ける姿が一番印象的です。これを近づけた途端、彼女はそれまでやっていたことをすべて止める。他のことは全部差し置いて、最善をもって、たとえ目を見開きながらでも、それを吸おうとするのです。

その上で、聖書では、生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい、と言われます。聖書の教えは、私たちが生涯、生まれたばかりの乳飲み子のように、慕い求めることのできる純粋な霊の乳です。私が娘にしてしまったように、たとえどのような邪魔や、あるいは嫌がらせさえあったとしても、その中でも吸い続け、それによって養われることのあるものなのです。かえって、私たちが人生の苦しみや試練の中にあっても、懸命に目を見開いて、その教えに聞くことのできるものです。聖書の言葉は、私たちの生涯のその時々に、私たちに語りかける神の言葉なのです。

聖書では、「これを飲んで成長し、救われるようになるためです」と言われます。聖書に教えられる中で、人は成長し、救いを得ることができると言われています。だから、人はこれを飲み続けるのです。飢え乾く思いで懸命に飲み続けます。そのように人は、神の救いを得ることができると言われるのです。

キリスト教会という場所は、ある意味でとても面白い場所であると思います。そこには、生まれたばかりの乳飲み子のように、ただ霊の乳を慕い求める人たちが集まるからです。ただ純粋に、自分自身も成長して救いを得たい、こういう人たちが集って来るからです。

私たちの心には、憎しみやねたみなど、あらゆる思いが複雑に入り組んでいます。思い悩んでばかりで、安らぎのない生活をしていると思うこともあるかもしれません。しかしその中で、霊の乳を慕い求める生活には、本当の意味での純粋な喜びの生活があります。教会は、そのように純粋な聖書の言葉を聞くことのできる場所です。あなたを本当に養うものがそこにあります。

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