キリストを知るすばらしさ

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聖書の言葉

そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。

新約聖書 フィリピの信徒への手紙 3章8節

宮﨑契一によるメッセージ

おはようございます。いかがお過ごしでしょうか。自分の人生を振り返ってみます時に、私は、出会い、ということを思わされます。出会いは、とても大きなものです。人との出会いによって、仕事をする上でも、大きな後押しをもらうことがあります。自分の人生の方向性がある程度定まる、ということもあると思うのです。家族との出会い、友人との出会い、それ以外の色々な出会い。出会いがなければ、人は生きることができない、と言えるかと思います。人生には誰かとの出会いが重要です。

その中で、聖書の中には、変わった出会いが記されています。これは、不思議としか言えない出会いです。聖書には、イエス・キリストとの出会いが記されているのです。キリストとの出会いは、とても不思議なものです。普通の人との出会いとは全く違うと言っても良いものです。

聖書の中に、キリストに出会ったパウロという伝道者が出てきます。このパウロは聖書の中で、イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに、私は他の一切を損失と見ている、ということを言った人です。結局、キリスト以外のものはすべて損失だ。ここまでのことを言いました。

パウロという人も、ある意味で私たちと同じように、これまで自分の人生を懸命に築き上げてきた人です。熱心に、自分の人生を生きてきました。キリストを信じるどころか、パウロは熱心なユダヤ教徒で、キリストを迫害していたのです。キリストを憎んでいた訳です。しかしその彼が、これまでキリストを憎んでいた自分の生き方そのものが間違っていた、損失だった、と言うのです。キリストを知ることのあまりのすばらしさに、他の一切を損失と見ている、と言いました。

これほど人が変わってしまうことに、驚きを覚えます。もうキリストがすべて、という感じです。おそらく、彼の変わりようを見た当時のすべての人は、みんな驚いたと思います。パウロという人は、その生き方が全く変えられた代表と言える人です。

彼が信じるようになったイエス・キリストは、人間の罪のために自身が身代わりとなって十字架につけられ、死んだと言われる方です。そして、その罪と死のすべてに勝利をされて、復活をしたと言われます。そのイエスを信じるパウロは、こう言うのです。自分もこのイエスの十字架の苦しみにあずかりたい、その死の姿と同じ姿になりたい、と言います。そして何とかして、自分も死者の中からの復活に達したい、と言うのです。彼は、十字架の死から復活したイエスを心から愛しています。心から信じているのです。だから自分も、愛するイエスのようにそうなりたいと、今度はイエスを信じる新しい生涯を熱心に生き始めました。

私たちにとって、復活と言われる時に、それは簡単に受け入れられることでも、信じることのできるものでもないと思います。しかし不思議なことなのですけれども、パウロもそれに続く人々も、不思議とこれを信じる人にされたのです。人は復活にさえ希望を持つようになるのです。そして、イエスを信じて、パウロのように全く新しく生きる人にされます。人は変わらなければいけない、変えられねばならない、これが聖書の言っていることです。単純にそれまで通りのあなた、ということではなく、人は変えられねばなりません。イエスはそのための道を開かれた方です。

聖書に出てくるイエスは、神の御子と言われる方です。神に等しい方です。つまり、イエスと出会うことによって、人は神に出会うことができるのです。イエスとの出会いは、神との出会いです。イエスは一人一人に神への道を開かれました。

パウロのように、神に出会うことこそ、人の生き方を全く変えるものなのです。パウロは、全く変えられてしまいました。イエスとの出会いは、私たちが経験する人間との出会いとは全く違うものです。人との出会いももちろん、私たちの生き方をある程度変える、時には大きく変えることもあるものです。ただ、それはイエスほどではありません。イエスとの出会いは、神との出会いだからです。イエスを憎んでいたパウロが、本当にイエスを愛する人にされました。

自分がそれまで憎んでいた相手を愛するようになる。または、信じるようになる。このように人が変えられることは、すばらしいことだと思います。これは、神が与えてくださる出会い、としか言えません。最初は、キリストのことを何とも思っていなくて、十字架と復活と聞いてもそれを無視をしていた人が、自分もイエスと同じ死の姿になりたい。そして何とかして復活に達したい、となるのです。これは、人生の中で私たちが経験する様々な出来事をきっかけに、神が人に与える出会いと言えるものです。

キリストとの出会いこそ、人を幸いにします。それは、やっぱり止めれば良かったという、後悔のない生き方です。この神の不思議な導きが、お一人お一人の生涯にあることを願っています。

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