思ってたんと違う?
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」
新約聖書 ローマの信徒への手紙 8章28節
家族でハンガリーに渡航をして、もう3年半が経ちました。日本についていろいろと懐かしくなるものがあるのですが、その一つが日本のテレビ番組、特に子供向けテレビ番組です。NHKの朝の教育番組で「シャキーン」という番組が当時まだありました。非常にユニーク、かつ奇抜で、大人も楽しめるようなこういう大胆な番組は、こちらでは見たことがありません。その番組の中に「思ってたんと違う」という名前のショート企画がありました。ごく普段の生活の中で、普通ならここはこうなるだろう、と思っていることを完全に覆すようなことが起こしてみせる。たとえば、誰かがエレベーターの前に立っていて、当然エレベーターが上下に動くだろうと思っていると、フロアのほうが意表をついて動き始める。「思ってたんと違う」と、見ているほうが毎回驚かされるのです。
人生というのは「思ってたんと違う」ということばかりです。人生をもっと楽しみたかった、あんな風にしたかった、でもそうならなかった、ということでいっぱいです。学業のこと、仕事のこと、家族のこと、人間関係のこと、老後のこと。よかれと思ったことが裏目にでたり、反対に失敗したことでかえって新たな機会が飛び込んできた、という経験もあるのではないでしょうか。意表をつかれる。驚かされる。そして時にはがっかりしてしまう。
パウロは神を愛する者たちには、「万事が(つまり全てのことが)益となるように共に働く」と言います。この言葉を聞いていた人々はどんな人たちだったでしょうか。私たちが自分の人生について疑問を持ち始めるのは、何もかも上手く行ってる時ではありません。反対に思ってもいなかったような様々な困難が襲ってくる時、何も自分の思い通りにいかない時、他の人と比べて自分だけが苦しい思いをしていると思える時などです。もし神様が本当におられるなら、どうしてこんな悪いことがおこるんだろう。どうして幸せから遠ざかっていくように感じるんだろう?なぜ自分が願ったこととは正反対のことが起こるのだろう?そいう時、「万事が益となる」というのは、実に信じがたい言葉です。
冷酷なことに、どんな時でも時間は進んでいきます。私たちが少し調子が良くなるのを待ってはくれません。また都合よく時間を巻き戻すことももちろんできません。それでもなお、神様がこの流れ続ける時の中で、全てを私たちの救いの益としてくださると、どうして信じることができるでしょうか。
誰もが携帯電話やスマホを持つようになった時代がやってきた時、以前まで必ず持ち歩いていたのに、ほとんど誰も持ち歩かなくなったものがあるそうです。それは腕時計だったそうです。携帯電話の時計があれば事足りてしまうので、おしゃれの目的以外で腕時計は必要なくなりました。そんな時代ですから、特にアナログ時計の中身がどうなっているかなど、もう見たこともない方も多いのではないでしょうか。あの小さい腕時計に、大小たくさんの歯車が使われいて、全てが繋がって動くようにできています。一つの歯車が右に回ると、不思議なことに次の歯車は左に、つまり反対方向に回ります。その次はまたその反対、それなのに最後にはちゃんと時計の針が正しい方向に回ります。神様を信じて生きる人の人生は、無数の歯車が複雑に繋がっている時計のようなものだ、と言った方がいます。本当にそうだな、と私も思います。人生が「思ってたんとは違う」というように、反対方向に向いているように思えても、実は全ては正しい方向に回っているのです。なぜこんな不幸なことが、理解できないようなことが、と思うこともあるのですが、神様のご計画の中では、その一つ一つ、全てのことがちゃんと組み合わさって、正しい道へと進んでいく、私たちの救いの針が前進するようにできているのです。
もし時計の中で一つでも歯車がなくなってしまうなら、この時計はもう動きません。歯車の中には小さいもの、大きいもの、とても早く進むもの、ものすごく遅く進むものもあります。こんなおかしな形をした歯車が本当に必要なのだろうか?意味もなく目まぐるしく動いているように見える歯車も、この歯車本当に動いている?と疑ってしまいたくなるほど遅く回っている歯車も、全てが組み合わさって、救いの時計が正しい方向へと進んでいくように計画されているのです。一つとして無駄な歯車はありません。
今のこの時も、複雑に組み合わされた救いの歯車の一つです。悲しみも、苦しみも、全てのことが一つ一つ、私たちの救いを完成という終わりのゴールを目指して進ませる神様の驚くべきご計画の一部なのです。ですから私たちは今日という日も、その救いの歯車の一つであると信じ、神様を信じて、精一杯、一生懸命生きるようにと招かれています。