平和をつくるために①

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吉田隆によるメッセージ

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。甲子園教会の吉田隆と申します。今日の聖書の言葉をお聞きください。エフェソの信徒への手紙6章15節。「平和の福音を告げる準備を履物としなさい」という言葉です。▼さて、一昨日の8月15日、私たちは戦後80年目の「終戦記念日」を迎えました。一般には「終戦記念日」と呼ばれていますが、正確には「戦没者を追悼し平和を祈念―すなわち祈る日」と言うそうです。激しく悲惨な戦争で犠牲となられた数知れない人々のことを思い、同時に、今後二度と同じ過ちを繰り返さないとの平和を祈り求める日だったのですね。▼平和ということを考えます時に、聖書ほどこのことを教えている書物はないのではないかと思うのです。なぜなら、聖書の神ご自身が平和の神と呼ばれているからです。そして、神が最初にお造りになった世界も、最後に、つまりは世の終わりに完成する世界も、一切戦いのない世界だからです。けれども、その間にある今の世界には、悲しいかな数知れない争いや戦いが満ちています。このような今の私たちの世界で、どうすれば平和を作り出すことができるのか、私たちは何をすればいいのか。そのことを、少しだけご一緒に考えてみたいと思いました。そして願わくは、私たちにもできる小さな平和作りの一歩を踏み出して行きたいと思うのです。少々、前置きが長くなりましたが、今回と次回は、そんな平和に関係する聖書の言葉を二つだけを取り上げて、お話してみたいと思いました。▼さて、聖書、とりわけ新約聖書は、そもそも戦うことをしない、いえ、戦おうとする心、相手を憎む心さえも持たないことを教える書物ですね。ところが、そのような中で、むしろ“戦うこと”を勧めている言葉があります。この場合の“戦い”とは、人間に対してというよりもむしろ悪魔との戦い、この世の悪の力との戦いという、いわば霊的な戦いのことです。人を憎んで殺し合うような戦いはしない。けれども、目に見えない悪の力に対してはどこまでも戦わなければならない。もっと言えば、相手を憎む心がむくむくと湧き出てくるような、自分自身の心と戦わなければならないということです。▼そのような時に、あなたがたは神の武具、悪と戦うための道具を身につけなさいと、パウロという人は言いました。例えば、真理を帯として腰に締めなさいとか、正義を胸当てとして着けなさいとか、救いを兜としてかぶりなさいとか、そんな調子です。そして、その中の一つが、「平和の福音を告げる準備を履物としなさい」という、今日の聖書の言葉なのです。この場合の「履物」とは、もちろん、サンダルやハイヒールのような履物ではありません。戦うための履物です。ところが、とても面白いことに、戦いに赴くための履物なのですが、その履物は「平和の福音を告げる準備」だというのです。おそらく、その意味は、私たちがただジッとしているのではなく、どこにでも出て行って、神の平和、キリストの平和を伝えることができる、そういう準備をしていなさい、ということなのだと思います。▼宮沢賢治という人が書いた、有名な「雨ニモマケズ」という詩がありますね。その中に、「南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い、北に喧嘩や訴訟があれば. つまらないからやめろと言い」というフレーズがありました。あれに似ているのかもしれません。私たちがもし政治家であるなら、世界のあちらこちらに出て行っては「戦争や争いは、つまらないからやめろ」と言う。つまり、戦争にならないための外交を一所懸命するということでしょう。私たちの日常生活でも、誰かと喧嘩をしたり、誰かを憎んで訴えるようなことは、人生を豊かにすることではないから、やめておきなさいと。このように言って聞かせるということでしょうか。▼「平和の福音」とは、イエス・キリストという神の御子がその命を十字架の上で注ぎだして成し遂げてくださった、神と人間との和解を知らせる福音のことですね。人間の一切の罪をもはや問わないという神の赦しの宣言です。そして、せっかく神がすべての人を赦してくださったのなら、私たち人間同士が互いに責め合うのは愚かなことです。むしろ、互いに赦し合い、愛し合うこと。争いや憎しみのない世界。それを作り出すためにこそ、イエスは十字架で死なれたのではないでしょうか。そのような福音によって救われたあなたたちは、その平和の福音を足に履いている。ですから、その福音をあなたたちだけで留めないで、争いのある所に平和を作り出すために出て行きなさいと、こういうことではないでしょうか。▼カッカとして怒りや憎しみに心がとらわれている人たちを説得することは、とても難しいことです。けれども、その人の所に行って、まずは話をよく聞いてあげる。その感情を受け止めてあげる。そして、一緒にご飯を食べながら、穏やかに楽しい話をする。何よりもあなたがニコニコしながらそこに居てあげる。そんなことで怒りが和らぐこともあるのではないでしょうか。誰かを憎むよりも、もっと積極的な生き方、もっと豊かな生き方がある。そのためにこそ、神様は私たちに愛するということを教えてくださいました。「平和の福音の準備を足に履いて」、さあ、私たちはどこへ、誰の所に行けばいいでしょうか。

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