それって『結婚式』に似てない?
19. だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
20. あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
新約聖書 マタイによる福音書 28章19節-20節
皆さん、おはようございます。
尼崎市にある、園田教会の牧師、ジャン・スンギルと申します。
今日は、教会の儀式の中で「結婚式」にとても似ている「ある儀式」について考え、皆様と共に恵みを分かち合いたいと思います。
このマタイによる福音書28章19節から20節の御言葉は、いわゆる「大宣教命令」と呼ばれる箇所です。
主イエスが復活されたあと、天に昇られる前に、弟子たちに命じられた最後の命令が記されています。
イエスの、その最後の命令の中で、特に注目したいのは、28章19節後半の言葉です。
19節後半で、主イエスはこう命じられました。
19. 彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
一般的に「洗礼」とは、未信者の人が、キリスト教の信者になる時に、教会で行われる儀式、入信の儀式、と考えられています。
もちろん、それは間違いではありません。
しかし同時に、私たちが知っておかなくてはならないことがあります。
それは、洗礼を受けることがクリスチャンになるための条件ではない、あるいは、洗礼が神に救われるために必要な条件ではない、ということです。
16世紀の宗教改革者、ジャン・カルヴァンも、「キリスト教綱要」という著作の中で「洗礼を受けていない人々は救われていない、という人々のつくりごとは拒否されるべきだ。」と述べ、「洗礼が救いに必要な条件である」と主張する人々を強く批判しました。
つまり、キリスト教における「洗礼」というのは、クリスチャンになることを目的とした儀式ではありませんし、洗礼さえ受ければそれで良い… ということでもないのです。
人が教会で「洗礼を受けた」と言う時に、本来、それが意味するところは、その洗礼において、新しいスタート地点に立った…
そこから、主の弟子としての第一歩を踏み出した、ということなのです。
これまでとは違う新しいスタート地点に立って、私を救ってくださったイエス・キリストへの信仰と愛を公に表明すること…
それが「洗礼」です。
主イエスの最後の命令・大宣教命令に含まれている「洗礼」もこの意味です。
そう考えますと、私は「洗礼式は、結婚式とよく似ている!」と思います。
どこが似ているのでしょうか。
では、まず「結婚式」とはどのようなものか、考えてみましょう。
法律的には、婚姻届を役所に提出すれば、それだけで正式な夫婦になれますね。
どちらかがプロポーズして、相手がそれを受け入れて、二人でサインした書類を役所に出せばいいだけです。
それなのに、なぜみんな、わざわざお金と時間を費やし、あえて「結婚式」を挙げるのでしょうか。
それは、家族や親族、友人に、自分たちの結婚を知らせる、という意味が大きいでしょう。
新婦の側からすれば「今日から私は、この男性の妻になった。彼は、私の夫になった」…
逆に、新郎の側からすれば「今日から私は、この女性の夫になった」ということを、みんなの前で公に言い表す…
正にそれが「結婚式」であり、結婚相手への愛と信頼を公に言い表すところに「結婚式」の意味があるのではないかと思います。
アメリカの著名な神学者、ティモシー・ケラー(Timothy J. Keller)先生が書かれた「結婚の意味」という本があります。
その中で、特に教会での「結婚式」において、新郎新婦が結婚相手への愛を公に言い表すことの意味について、次のように説明されています。
「結婚式は、今、あなたが相手に対して、どれだけの愛を感じているかを祝う式ではありません。
それは前提であって、むしろ、神、両親、社会の前で、将来にわたって、感情や状況がどんなに変わろうとも、相手を愛し続け、忠実で、真実でいることを約束する式なのです。」
このように、公に特別な約束がなされることによって、結婚相手への愛が、そこからさらに確かなものになっていく、とティモシー先生は語っています。
この点において「洗礼式」と「結婚式」はとても似ている、と言えるでしょう。
「今日から私は、イエス・キリストのものになった」、
「私は、これから、ずっと主のものである」。
そのことを、教会のみんなの前で公に告白し、特別に誓います。
そこからその人が「主のもの」として歩み出し、主への愛と信仰がさらに確かなものになっていく…
それが「洗礼式」なのです。
このラジオ放送をお聞きになっておられる方は、すでに、救い主イエスを心に迎え入れ、主イエスを信じておられる方が多いかもしれません。
しかし、もし、まだあなたが洗礼を受けておられないのなら、どうか、あの大宣教命令を、もう一度思い出してください。
主は弟子たちに「すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と、お命じになりました。
ですから、こう祈ってください。
「主よ、私をあなたのもの、あなたの弟子にしてください。
父と子と聖霊の名によって、私にも洗礼をお授けください!」と。
主は、あなたのその願いと祈りを、何よりも喜んでくださいます。
そして、必ずあなたを、信仰の「次の一歩」へと導いてくださることでしょう。