まことの安息

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聖書の言葉

疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。

新約聖書 マタイによる福音書 11章28節

韓相眞によるメッセージ

私たちは皆、休みたいと願っています。休むことを嫌う人はいないでしょうし、忙しくて大変な生活の中で、本当に休むことがどれほど必要かもよく知っています。しかし実際には、休むべき時でさえ、真の休息を得ることができていません。なぜでしょうか?

聖書の言葉を通して「真の安息、真の休み」とは何かを一緒に考えてみたいと思います。

聖書には「安息日」という制度があります。旧約聖書の創世記1章を見ると、神様は初めに6日間で天地創造を行い、第7日目に休まれました。これを記念して、十戒の第4戒で第7日を安息日とし、休むよう命じられました。

1週間を7日とし、日曜日を休日とする現在のカレンダーは、聖書に由来するものです。古代ローマ帝国がキリスト教を国教として公認し、A.D.321年にローマ皇帝コンスタンティヌスが日曜日を休日と定め、礼拝の日としました。その後、キリスト教が広まる地域ではこの安息日の概念が根付き、西欧全域で日曜日を休む日としました。日本でも、19世紀の明治時代以降、西洋諸国の制度を取り入れる過程で、日曜日を休日とする制度が導入され、徐々に拡大・定着していきました。現在では、特別な業種を除き、学校も会社も基本的に日曜日は休みとなっています。このように、1週間を7日とし、日曜日を休みにする制度は、聖書の安息日の概念に由来しています。

では、なぜ聖書はこのように安息日を定めて休むよう命じたのでしょうか?健康に良いからでしょうか?確かに健康にも良いですし、効率面でも有益です。

脳科学者たちが実験を行いました。勉強する二つのグループを用意し、一方は休まずに3時間連続で勉強させ、もう一方は90分勉強した後、10分の休憩を挟みました。その結果、休憩を挟んだグループは平均で15点も高い成績を収めました。休憩時間中、脳はこれまで学習したことを復習し、リフレッシュしているのだそうです。休息の重要性を示す実験です。

また、私たちが眠っている間にも、脳はその日に学習したり勉強した情報を整理し、保存する作業をしているそうです。脳は、コンピュータで言う「キャッシュメモリ」のようにすぐに消えてしまう情報を、ハードディスクの「保存メモリ」に整理して移し、保管する作業を睡眠中に行っているといいます。ですから、勉強したら、しっかりと眠ることが記憶を定着させるために重要なのです。

さらに科学の進歩とともにわかったことは、人間は7日に1日休むことで回復し、仕事も効率的にできるということです。こうした科学的事実も、休息が人間にとっていかに重要であるかを教えています。

しかし、神様が「勉強をよくしなさい!脳を効率よく使いなさい!7日に1日休んで仕事の効率を上げなさい!」という理由だけで安息日を定め、休むように命じられたのでしょうか?もちろん、これらも含まれるかもしれませんが、それが主な目的ではありません。

主な目的は、心と魂にあります。私たちの体だけではなく、心と魂も休まなければならないのです。

休日に休んでも、疲れが取れないことがあります。体は休んでいても、心は休めていないからです。

悩みや心配を抱えているのです。体は休んでいても、心が休めないと、真の安息は得られません。

大事なのは、心が休むことです。心は魂が宿る場所です。だから心と魂は一緒に動きます。どうすれば心と魂が休むことができるのでしょうか?海や山に遊びに行けば良いのでしょうか?

いいえ、体はリフレッシュできるかもしれませんが、心と魂は安息を得ることができません。真の安息はどこにあるのでしょうか?それは、神のもとに帰る時に初めて得られるのです。

マタイによる福音書11章28節にはこう書かれています。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」私たちの魂と心に真の安息を与えてくださるのは神様です。神様の前に出るとき、すべての重荷を下ろし、私たちは生き返り、真の安息を得ることができます。

冒頭で、ローマ帝国がキリスト教を公認し、コンスタンティヌス皇帝が日曜日を休日とし、礼拝の日と定めたと申し上げました。旧約時代の安息日は土曜日でしたが、新約時代の教会では日曜日を「主の日」と呼び、安息日として守っています。その安息日である日曜日に、私たちは神様の前に出なければなりません。私たちの魂の始まりであり、魂の故郷である神様のもとに帰ることなのです。

肉体が休むだけでは、真の休息は得られません。体と共に心と魂が休まなければなりません。

私を愛してくださり、助け、守ってくださる神様が、私を大切に思い、祝福してくださることを知り、経験するとき、私たちは初めて本当に休むことができるのです。

主の日に神様の前に出て、すべてを委ねることで、安息を得ることができます。

聖書が語る安息日である日曜日に、教会の礼拝に行ってみませんか?

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」とおっしゃった神様は、必ずあなたに真の安息と休みを与えてくださるでしょう。

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