自由にする

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聖書の言葉

あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。

新約聖書 ヨハネによる福音書 8章32節

韓相眞によるメッセージ

私たちはポストモダン時代に生きています。ポストモダン時代の特徴の一つは、客観的で絶対的な真理を否定することです。すべての真理は相対的であり、可変的であると主張します。

過去に正しいとされたことが、現在では正しくないとされるのです。

過去には身分制度や奴隷制度があり、男尊女卑の思想も存在しており、当時はそれらが正しいと考えられていました。しかし今では正しくないものとされています。同じ時代に生きていても、ある社会では特定の食べ物を食べてはいけないとされ、別の社会では食べてもよいとされることもあります。

したがって、客観的で絶対的な真理は存在しないと主張します。真理は可変的で相対的であり、常に変わるものだと言うのです。

しかし、実際にはそうではありません。例えば、病気になったとしましょう。「この薬を飲めば治るかもしれないが、体質によって副作用が出て、半分は死に、半分は生き残る。」そのような薬を飲みますか?少なくとも、死ぬ可能性がなく、治る可能性が高い薬を選ぶでしょう。

飛行機について考えてみましょう。最近、韓国で大きな飛行機事故があり、乗客は全員死亡し、2人だけが救助されたそうです。飛行機は安全に飛ぶこともあれば、途中で墜落することもあります。

もし「飛行機が安全に到着する確率は半々だ」と言われたら、または「墜落する確率が1%でもある」と言われたら、あなたはその飛行機に乗りますか?私は絶対に乗りません。100回乗れば1回は墜落して死ぬ、そんな飛行機に誰が乗るでしょうか?

多くの人は「客観的真理は存在しない」と言いますが、実際には客観的で絶対的な真理が存在し、善と悪、正と誤は確かに存在します。私たちの社会、私たちの日常生活は、このような客観的な真理の上に築かれ、成り立っています。しかし、世の中は絶えずこう言います。「絶対的な真理などない。真理は常に変わる。」「飛ぶこともあれば墜落することもある。病気が治ることもあれば死ぬこともある。」すべては変わるのだ、と。

しかし、変わるもの、相対的なものは真理とは言えません。それは人間が作り出した偽りの真理にすぎません。だから変わるのです。人間が作り、真理だと主張するものは、不完全であるがゆえに相対的で可変的なものになります。しかし、客観的な真理、完全で絶対的な真理は確かに存在し、その上にこの世界が保たれ、私たちの命も支えられているのです。

聖書の御言葉、ヨハネの福音書8章32節はこの客観的な真理の存在を語り、またその真理が私たちを自由にすると教えています。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」

では、どうして真理が私たちを自由にするのでしょうか?

私たちはしばしば、真理に対して漠然とした否定的なイメージを持っています。

その一つが、「真理は私たちを抑圧するものだ」という誤った考えです。真理は私たちの自由を奪い、私たちの思考や思想を縛り、強制し、屈服させるものだと考える傾向があります。しかし、本当に真理は私たちを抑圧し、縛り、束縛し、強制するのでしょうか?いいえ、逆です。真理は私たちを自由にするのです。

ある魚がいました。その魚は毎日水の中を泳ぎながら暮らしていましたが、次第にこう考えるようになりました。「なぜ私はいつもこの水の中に閉じ込められていなければならないのか?水という境界が私を束縛しているのではないか?私ももっと広い世界で、水の外でも自由に生きたい!」ある日、その魚は勇気を振り絞り、水の外へ飛び出しました。「ついに自由だ!」しかし、何が起きたでしょうか?最初は太陽の光がまぶしく、世界が違って見えました。しかしすぐに魚は息苦しくなり、体は乾き始め、砂浜の上で身動きが取れなくなりました。結局、魚は水の中にこそ生きることができ、自由であったことに気づきましたが、時すでに遅く、命を落としてしまいました。魚は水が自分を抑圧していると思っていましたが、逆説的に、水の中にいるときこそ最も自由であり、命を得ることができたのです。

私たちも同じです。魚が水の中にいるとき最も自由だったように、私たちも真理の中にいるとき、真の自由と命を得ることができます。魚にとって水は束縛や制限ではなく、自由であり命でした。

同じように、私たちにとって真理は私たちを縛るものでも、抑圧するものでもなく、自由であり命なのです。

イエス様はこう言われます。「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」どうか、真理の中で真の自由を味わう皆さんでありますように。

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