私を高く上げる神

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聖書の言葉

だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。

新約聖書 ペトロの手紙一 5章6節

宮﨑契一によるメッセージ

おはようございます。私は今牧師として働いていますけれども、牧師をしていて思うのは、なかなか自分の思い通りにはいかない、ということです。牧師であれば、教会に一人でも多くの人に来てほしい、こう思っていろいろなことをやろうとします。けれども、大抵、自分の思い通りにはいかないことを思わされるのです。

これは私たちの人生もそうなのかもしれません。自分で色々と考えて、物事をやろうとする。しかし実際に上手くいかない、ということは案外多いように思うのです。上手くいかないことを私たちは嫌がるかもしれませんし、できればそれを避けたいと思うかもしれません。しかし振り返ってみると、私たちの生活にはそういうことが多くあるように思います。

私も自分の人生を振り返ってみると、上手くいかないことがありました。受験の時にあの大学に行きたい、そして将来はこの仕事に就きたい、そういう夢のようなものが私にありました。でも私はあまり勉強をしませんでしたので、当然それは全く上手く行きません。その時にはそのことで挫折感のようなものを味わいました。勉強をしてそれでも上手くいかなければ挫折を覚えても良さそうなものですけれども、勉強しないから当然行きたい大学に行けない、そんなことでも現実を突きつけられた時に挫折はあるのです。人生上手くいかない、その時の自分は何か先の見えない生活をしていたように思います。

けれどもその中で、私は初めて、聖書の神、という方を知ったように思います。まだ自分の夢や憧れがあった時は、神など見ようとも知ろうともしませんでした。ただひたすら、自分、自分、自分がすべてという感じでした。自分のやりたいことや自分の願いを実現したい。自分のことを第一にしていました。自分以外のことは、何も考えられなかったのです。自分以外のことは、何も受け入れられませんでした。

けれども、自分の夢や憧れがすべて駄目になって、跡形も無く崩れた時に、それは私にとって初めて聖書の神を知ることのできた一つのきっかけになったように思います。自分のことが全部上手くいかなくなった時に初めて、聖書の中で神が与えたイエス・キリストが自分にとって救い主であることが自分なりに分かるようになりました。それまでひたすら神を離れて、神を避けて、ただ自分のために生きていた、そういう自分のような罪人に、キリストが赦しを与えてくれた。神を避けていた自分のような罪人のためにもイエス・キリストが十字架上で死んでくださった。初めてイエスについてそう思うようになったのです。そして、それまでの人生で自分が味わったことのないような深い喜びが心の中に湧き上がって来るのを感じました。

何とか神様のお役に立ちたい、そう思うようになって、私は今なんと牧師をやっています。これはいつも不思議に思うことです。それは、このことは自分が計画してそうなったのではないと思うからです。むしろ、自分の上手くいかないことを通して、自分が今牧師となって働くことが許されている、今がある。これは自分の計画ではなく、ただ神のお導きしかない、そのように私は思っています。

私たちの人生で起こる上手くいかないことは、決してそれ自体が無意味で役に立たないものではない、と思わされます。むしろ、挫折を覚えるようなことさえ用いて、自分にとって一番良いことがされる、それが聖書の神のご計画です。神は、それまで自分を第一として、ただ大きく生きようとしていた者を、小さな者にされます。そして神を信じる心を人に与えるのです。

聖書の中に「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます」という言葉があります。神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、ちょうど良い時に、神はあなたがたを高めてくださると言われています。

神の力強い御手の中で自分が低くされる。私たちは自分で自分を低くすることはできません。むしろどうしても自分を大きく、自分を高く見せようとします。自分の名誉や栄光を求めようとします。しかし神の御手はそのような私を低くするのです。そして、そこで初めて神を知る喜びを与えてくださいます。ご自身の一番良い時に、低くされた私を高めて、この私を神に喜ばれる者にされるというのです。

神は、私たちのために救い主イエス・キリストを与えてくださいました。たとえ私たちがどれほど神から離れた生活を送っていても、キリストは私たちに赦しをお与えになります。十字架上で人間の罪を背負って死なれ、罪人が神に向かう道を開いてくださるのです。私たちはたとえどのような悲惨の中からも、そこからキリストによって悔い改めて、神に向かうことが許されています。未だに私たちは自分たちの生活の中でうまくいかないことに直面すると思います。それはとても大きくて悩ましく、先の見えないものであるかもしれません。しかしそのような時も、神にあって、人はその計り知れないご計画の中にあると言えるのです。

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