境界地帯に立っている

私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている、だがそのときには、
顔と顔とを合わせて見ることになる。私は、今は一部しか知らなくとも、そのときには、
はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
新約聖書 コリントの信徒への手紙一 13章12節
私たちが人生を生きていると、身近な人がある日突然、この世を去っていくことがある、そのような経験をする場合があります。私も同じ教会で信仰生活をしていたある兄弟が突然亡くなったことがありました。その兄弟は本当に元気だったのですが、癌が見つかってから3ヶ月ほどで亡くなりました。その兄弟の死を通して私は、私もいつこの世を去るか分からない、死と生の境界線の上を歩んでいることを感じました。
先ほどお読みしましたこの第一コリント信徒への手紙という聖書は、今から二千年も前、新約聖書の時代に、パウロという人が、コリントにある教会に送った手紙です。パウロが書き送ったこの聖書の箇所を見ると、「今は」と「その時には」という言葉が対比されています。「私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている、だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。私は、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」
ここでの「鏡」は、青銅の鏡です。2000年前当時の鏡は、青銅を磨きあげたものでした。当時の青銅の鏡は、今の私たちが使っている鏡のように綺麗に映らず、おぼろに映りました。だから、今は青銅の鏡で見ているように一部しか知らなくても、その時には、直接目で見るようにはっきり知ることになる!というのです。今は、一部しか知らなくても、その時には、はっきり知ることになるというふうに、「今は」と「その時には」ということが対比されているのです。
では、「今は!」と「その時には!」は、どういう意味でしょうか?
今は!その時には!です。「今は」は、この地での時間です。この地での生涯です。「その時には、」は、死んだ後の、死後の時間を言います。これについて、ドイツの神学者、カール・バルトは、こう言います。「生きている時間の『今は!』と、死んだ後の時間の『その時には』は、一つになることができる。分けられた二つの時間が、一つになることは、ただイエス・キリストを通して可能になる。」と言います。そして、バルトは付け加えて言います。「私たちが主イエス・キリストを信じて、従う中で、そのお方と共に、「今は!」と「その時には」が相接する境界地帯に立っているのは、私たちがこの境界地帯で、信仰と希望と愛を持つように導くイエス・キリストの恵みだ」と、言います。
私たち皆は、「今は!」と「その時には」が 相接する境界地帯 に立っています。いつ、その境界線を超えて、「その時には」の時間に、いつ、行くことになるか、分かりません。
夜に脱いだ靴を、翌朝もう一度履いて出かけることができると、断言できる人は誰一人もいないでしょう。私たちは、生まれることは順番がありましたが、この地を去ることは、別に順番が決まっているのではありません。若くても安心できないし、まだ健康だからと言って、油断することもできません
私たちは、常に、この境界地帯に立っているのです。私たちが、この「今は」と「その時には」が相接する境界地帯に立っていることを知り、それを認識する時、私たちは私たちを造られた神、私たちを救われた神への信仰と希望と愛を、さらに堅くするようになります。
冒頭で申し上げましたように、私は、この間、その境界地帯を越えようとされるその兄弟と一緒に臨終の前の時間を過ごしました。コロナ禍でしたので、面会の制限がありましたが、臨終の直前だということで病院に許可を得て、亡くなられる三日前から毎日1時間ほど一緒に過ごすことが許されました。
三日間共に過ごしながら、私も一緒だと思いました。
「あ~私も、この境界地帯に立っている人間だ!いつ、超えることになるか分からない!いつかは、あの境界線を超えて、『その時には』の時間に行かなければならない人生なのだ!」と、思い起こすようになりました。今のこの地で、もがきながら生きている私の人生は、結局、虚しいものであることを覚えさせられました。
私たちには、三つの人生があると言われます。まずは、お母さんのお腹の中での10カ月間の人生です。お母さんのお腹の中で、永遠にとどまるのではありません。10カ月が経つと、そこから出ることになります。しかし、流産になれば、第二の生涯に移ることができなくなります。
10カ月が経つと、お母さんのお腹の中とは、比べられないほど、もっと明るくて輝かしい二つ目の生涯が始まります。しかし、この二つ目の生涯も永遠に続きません。いつかは、この二つ目の生涯も終え、去って行くことになります。
人々は、この世を去ると、どこに行くのかと尋ねますが、聖書は、イエス・キリストを信じる人は、永遠の命が与えられ、天国に行くと語ります。お母さんのお腹の中での10カ月は、次の生涯を準備する時間です。同様に、「今は」というこの地での生涯は、「その時には」という次の生涯を準備する時間なのです。イエス・キリストを私たちの救い主として信じることによって「その時には」という、次の生涯を備えることを願います。