的f外れ

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聖書の言葉

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も 滅びないで、永遠の命を得るためである。

新約聖書 ヨハネによる福音書 3章16節

韓相眞によるメッセージ

聖書の話から始めたいと思いますが、この聖書は、世界的なベストセラーです。2千年間、そして今も世界で一番読まれていて、一番売れている本です。聖書は、旧約の創世記から新約のヨハネの黙示録まで66巻となっています。とても分厚い本です。この聖書66巻が語っている主題は何でしょうか?

一体聖書は何を語っているでしょうか?聖書は、人の救いに関する本です。聖書は救いに関する本ですけれども、では、何からの救いでしょうか?

人はそれぞれ救いを求めています。水に溺れている人にとって救いは、水から救い出されることでしょう。生活に困窮している人は、困窮な生活を解決してくれることが救いです。人間関係に悩んでいる人には、その問題が解決されることが救いです。しかし、聖書が語る救いは、これらのこととは違います。聖書は、罪からの救いを語っています。罪からの救いです。

皆さん、罪とは何でしょうか?この罪に関する考え方や基準は、人によって、また時代や国によってそれぞれ違います。ある国では問題にならないようなことも、他の国ではいけない場合があります。

私たちは子供が可愛くて頭をなでたりします。友達同士にも親しさの表現として頭を撫でたりすることがあります。しかし、タイという国では頭を撫でる行為は禁じられています。タイの人々にとって頭を撫でることはとても不快感を与える野蛮な行為です。もしタイに旅行などで行った時は、絶対に子どもたちの頭を撫でたりしないでください。頭を撫でたら大変なことになります。

法律も国によってそれぞれ違います。アメリカは、同じ国なのに州によって法律が違うことがあります。ある州では合法的なことでも他の州では不法な場合があります。国によって、時代によって法律や道徳的な基準も違い、また、罪に対する基準もそれぞれ違います。

このように、人によって国によって時代によってそれぞれ違いますが、では、聖書は、どう語っているでしょうか?聖書は、何を罪だと語っているか、聖書が語る罪の基準は何かということです。

新約聖書はギリシャ語で書かれましたが、新約聖書で罪を、ギリシャ語ですけれども「ハマルティア」と言います聖書で罪という意味で使われているハマルティアは、元々はどういう意味の言葉でしょうか?ハマルティアは、「的外れ」という意味です。つまり、的から外れたことが罪だということです。

では、その的は何でしょうか?何が的でしょうか?聖書の御言葉です。

この聖書の御言葉から外れたことが罪なのです。だから、この聖書を読んでみれば、何が罪で、何が罪ではないか、がよく分かります。聖書が語る罪とは、もちろん私たちが言う常識的で道徳的な罪も含まれます。

聖書には十戒というものがありますが、殺してはならないとか、盗んではならないなどの戒めがあります。殺人、盗みなどの、このようなことも罪だと言います。また、私たちを造られた神を礼拝せず、私たちを救われた神を信じないことが第一の罪だと語ります。第九戒は、偽証してはならないと語ります。嘘をつくことも罪です。一度も嘘をついたことのない人がいるでしょうか?一度も嘘をついたことがない人いますか?いないでしょう。いません。知らないうちに嘘をつくこともあるし、ピンチを逃れるためにずる賢く嘘をつくこともあります。嘘をつくという、この一つだけをとって見ても、この世のすべての人々は、罪から自由であることはできません。

ローマの信徒への手紙3章23節では、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができません。」と語られています。では、罪を犯した結果は何でしょうか?ローマ書6章23節では、「罪が支払う報酬は永遠の死です。」と語ります。永遠の死というのは、簡単に言いますと、地獄に投げ込まれて永遠に苦しみを受けることです。

では、どうすればよいでしょうか?どうすればこのような罪の裁きから救われることができるでしょうか?聖書は、イエス・キリストを信じることによって救われると語ります。

ヨハネによる福音書3章16節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

イエス・キリストは、私たちを罪から救ってくださる救い主です。そのイエス・キリストを私の救い主として信じてください。そうすれば、罪が許され、罪から救われます。そして、神の国に、天国に行くことができます。これが聖書が語る一番大事な主題です。

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