逆風の時も

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聖書の言葉

夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。

新約聖書 マルコによる福音書 6章47~48節

山中雄一郎によるメッセージ

これは、キリストが湖の上を歩いて弟子たちの舟のところまで来られたという奇跡の物語の一部です。

ある日の夕方、キリストは弟子たちを無理やり舟に乗せて、ガリラヤ湖という湖の向こう岸に行くようにと命じられました。そして、御自分は山に登って、祈りの時間を過ごされたのです。

弟子たちはキリストと共にいたいと願いましたけれども、キリストの命令ですから仕方ありません。向こう岸に向かって漕ぎ始めました。弟子たちの中には漁師が何人もいましたから、舟を漕ぐのは得意だったでしょう。

ところが、しばらく漕ぐ内に強い逆風が吹き始めて、舟は進まなくなりました。あきらめて、出発した岸に戻ってもよさそうですけれども、弟子たちは律儀にも、キリストの言われたとおりにしようと必死に舟を漕ぎ続けたんですね。どうしても舟は進みません。夕方から夜明けまで長い長い時間、弟子たちは漕ぎ続けました。キリストから離れた場所で頑張り続けたのです。

ところが、キリストはその弟子たちの姿を高い山の上からご覧になっていました。夜の湖に浮かぶ舟の様子を遠い所から見ることができたのは、キリストの特別の奇跡の力によったのかも知れません。とにかく、弟子たちには大変に思いがけないことでした。キリストは、遠く離れた場所から弟子たちの頑張る姿を見続けておられたのです。

そして、キリストは夜明けごろにこれも不思議ですが、湖の上を歩いて弟子たちの舟に近づいて、舟に乗り込み、逆風を終わらせて、目指す岸へと到着させてくださったのです。

不思議な奇跡のお話ですけれども、これは、キリストに従って生きようとするときに、多くの人が経験することを指し示す物語ではないかと思います。

逆風に漕ぎ悩んだ弟子たちのように、辛い人生の逆風を経験するとき、私たちは、キリストから離れた所で苦しみ戦っているのだと思う時があります。けれども、私たちがキリストを見失っている時も、キリストは私たちを見失っておられないんですね。私たちの戦いにじっと目を注いでおられるのです。そして、一番適切な一番必要な時に、私たちに近づいて下さるのです。

今日の物語では、キリストは水の上を歩いてでも弟子たちの舟に近づかれました。キリストにとって、弟子たちと御自分とを隔てる障害物は何もなかったんですね。

これは今でも真実です。キリストが近づくことができない場所はどこにもありません。私たちがどんな場所にいたとしても、どんな戦いをしていたとしても、そこにキリストは近づいてくださり、私たちの人生の逆風を終わらせてくださいます。苦しみの時、心が波立つ時、キリストに祈り、キリストに頼るなら、私たちはそういうことを経験するのです。

教会で何人かの人たちとこの物語を読んで、話しあったことがありました。ほとんど皆さんが、この物語のようなことを経験したと言いました。

健康のことや暮らしのことや人間関係のことなど、厳しい人生の逆風のとき、自分ひとりで戦っていたように思ったけれども、あるときに、キリストが自分に身近な存在になられたことを強く感じた。そして、そこから救い出された。そういう経験を多くの方が持っておられました。

私自身も、本当に辛かったときのことを思い出しました。お祈りするほかない。神様に頼るほかない。そう思わされるときがありました。そのときは、キリストは本当に私に身近な方となって下さいました。そして、私を逆風から救い出して、今までの人生を守ってくださったんですね。

逆風の中を漕ぎ続けた弟子たちのひたむきさは、本当に涙ぐましい気持がします。精も根も尽き果てるような逆風です。それでも、イエス様のお心だから漕いだのです。夕方から夜明けまで何時間かかっても、向こう岸を目指したのです。このようにひたむきな戦いのすえに、弟子たちはキリストの助けを受けて、戦いに勝利したのです。

いつ終わるかも知れない辛い日々を経験する方は多いと思います。ひたむきに漕ぎ続けるならば、キリストは遠くから私を見ておられます。そして、必要なときに、必ず私に近づいてくださいます。私の戦いに目を注いでいる方がおられる。このことを逆風に生きるときには思い出したいと思うのです。

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