神様からの平和

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聖書の言葉

平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。

新約聖書 マタイによる福音書 5章9節

長谷部真によるメッセージ

学生時代、サウジアラビアの学生に「あっサラーム」というアラビア語の挨拶を教えてもらいました。ヘブライ語の「シャローム」であり、「平和」を意味する言葉です。世界の国々の中で、「平和」を意味する言葉が挨拶として使われます。8月も三週を迎えました。毎年、私たちの国はこの季節、「平和」への想いを巡らしながら時を刻んできました。私たちの国も、「敗戦による終戦」から78年を迎えました。先日、全国各地で記念式典が行われ、平和への祈りがささげられましたが、国同士の戦争が今も続く現代、「平和」の意味を深く考えさせられています。「平和」は政治的・社会的な課題である一方、私たちにとって身近な願いです。戦争が終わるように、争いが無くなり平和が実現することを祈り求める私たちですが、聖書は「平和」についてどのように語っているのでしょうか。

【主イエスの教えと私たち】

最初にお読みしたのは、「山上の説教」と呼ばれるイエス様の御言葉です。イエス様のもとには多くの人々が集まりました。イエス様はその様子を見て山に登り、腰を下ろして教えられます。「幸いである」と繰り返されるこの御言葉は、「幸いの説教」と呼ばれます。神様の眼差しから見た「私たちの幸い」について、イエス様は教えます。「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」「平和を実現する」という言葉は、「平和を作り出す」という意味の言葉です。イエス様が地上の生涯を歩まれた時代、ローマ皇帝のことを「神の子」と呼んでいました。圧倒的な軍事力によって、世界の平和的な秩序を作り出したことを讃えるためです。その政治的・社会的な功績は大きかったのでしょう。ローマ皇帝たちは歴史に名を残しました。

「侵略されないための力を持つ」ことで築く秩序。歴史の中で私たちは非常に複雑な関係を築くことで、戦争のない状態を作り上げようとしてきました。「時代が変わったのだから」「周りの国々が力を持ったのだから」そんな声が大きくなっていく中で、国同士の緊張の高まりを感じる今の時代があります。しかし、イエス様が人々に語ったのは「ローマ皇帝のように平和を作りなさい」ということなのでしょうか。お読みした言葉には、全く別の響きがあるように思えます。

【語り継がれた平和の姿】

聖書は、「平和」は神様からくることを伝えます。旧約聖書で、平和を意味する「シャローム」とは本来、何かが欠如したり、損なわれたりしていない、満たされた状態を指す言葉です。人間のあらゆる面における、本当に望ましい状態を意味する言葉として使われています。もっと言えば、平和とは単に戦争のない状態を意味するのではなく、神様と私たちの正しい関係に基づいて与えられる、と聖書は教えます。神様の言葉を預かった預言者イザヤは、神様の実現される平和の姿を、人々に次のように語ります。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。 彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。 国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。 ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。(イザヤ2章4,5節)」私たちの国で、「積極的平和主義」という言葉が注目された時があります。元々あった「積極的平和」という言葉は「戦争の原因となる構造的暴力がない状態」を意味するそうです。神様からの平和は、私たちとは全く別の方法で平和を作り出されます。剣を打ち直して畑を掘り起こす鋤とし、槍を打ち直して実りを刈り取る鎌とする。聖書は、平和を作り出す道は別にある、と教えています。

戦時下にあったアフガニスタンで、医師として奉仕した中村哲さんという方が、「天、共に在り」という本の中で、次のように語っていました。「いま、きな臭い世界情勢、一見勇ましい論調が横行し、軍事力行使をも容認しかねない風潮を眺めるにつけ、言葉を失う。平和を願う声もかすれがちである。 しかし、アフガニスタンの実体験において、確信できることがある。武力によってこの身が守られたことはなかった。防備は必ずしも武器によらない。」時代は巡り、今私たちの平和を願う声はどうなっているでしょうか。国同士の戦争が起こっている現実を前に、「理想論より現実的な武装を」という声が高まっています。

【神様からの平和を受けた私たち】

私たちにとって、「平和」はどこから始まるでしょうか。イエス様は「平和を作り出す人々は幸いである」と、私たちに語りかけられました。罪ゆえに神様との関係を失っていた私たちに、イエス様は十字架の死と復活を通して、和解の道を与えられました。復活されたイエス様は、不安と絶望の中にいた弟子たちに、「あなたがたに平和があるように」と挨拶をされました。イエス様を通して、私たちが神様からの平和を与えられた者として、それぞれの歩みに遣わされています。日曜日、キリスト教会では礼拝がささげられています。礼拝の中で、「平和の挨拶」が交わされています。もし神様からの平和を求める方がいらっしゃいましたら、教会へお越しください。そこには神様からの語りかけがあり、平和の交わりがあります。新しい1日、そして一週間、神様からの平和が豊かにありますように。いってらっしゃい。

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