命を守るためにすべきこと

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聖書の言葉

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」

新約聖書 マタイによる福音書 16章26節

韓相眞によるメッセージ

シャルルマーニュ(カール)大帝をご存じでしょうか?西洋の歴史を勉強すると、必ず出てくる人物です。このカール大帝は、A.D.8世紀に西ヨーロッパ全体を統一して、キリスト教を信じる強国を立てた王で、ヨーロッパの父とも言われます。

今から200年前、このカール大帝のお墓を発掘することになりました。死んでから千年も経っている人のお墓を掘り起こしたわけです。しかし、その作業に参加した人々は、お墓を掘り、中に入ると、驚きました。カール大帝は、皇帝の服を着ていて、手には金の笏を持って座っていたのです。そして、膝の上に聖書を開けておいたまま指で聖書のある箇所を指していました。その箇所が、先ほどお読みしましたマタイによる福音書16章26節でした。

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」

カール大帝は信仰深い人だったそうですが、彼は、なぜ、自分の墓を、このようにしておいたのでしょうか?おそらく、後世の人々に何かのメッセージを語っているようです。カール大帝は世界を統一した皇帝であり、この世のすべての富貴栄華を享受した者でしたが、いくら世界を支配する王として、全世界を手に入れても、命を失ったら何もない!ということを教えたかったのではないでしょうか?

私たちの命は一つしかないため、命ほど大事なものはありません。借りることも、代用することも、新しく作ってもらうこともできません。そのため、命を失ったら、私たちの持っている全てを失ってしまうのです。それが原因でしょうか、現代の人々は、健康に多くの関心を持っています。わたしも一応現代人ですから、健康のために毎日ビタミン剤を飲み、4、5キロくらい歩いています。人は健康に良いものを食べ、運動をし、もし病気の前兆があればすぐに病院に行って治療を受け、健康管理をします。そのお陰で、昔よりも平均寿命は延びました。しかし、いくら健康を管理して寿命を伸ばそうとしても、人は、100年を超えることが難しく、全ての人が死を迎えるようになります。命を失うことになるのです。

なのに、なぜ、カール大帝はお墓の中で、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」という、この聖書の箇所を指で指しているのでしょうか?

この聖書の御言葉の意味は何でしょうか?これは、この世で命を失ったらそれで終わりですから、何とか健康をうまく管理して80年、90年、気をつけて生きてから、この世を去って行きなさい!こういう教えでしょうか?もし、そうであれば、キリスト教は人の人生80年、90年間、この地で健康に生きることを奨励する、健康管理のための集団になってしまいます。しかし、そうではありません。聖書はそのように教えていません。

この御言葉の意味はこれです。命を失ったら、この世で持っている全てを失ってしまうのと同じように、救いのチャンスを逃したら、すべてを失ってしまうのだということです。命を失ったらこの世のすべてが失われるように、イエス・キリストを信じることによって与えられる永遠の命をつかみ、自分のものにしなければ、すべてを失ってしまうという意味です。聖書は、これを教えています。聖書で言う「命」とは、永遠の命です。

人の人生を生涯と言いますが、聖書は三つの生涯を語っています。第一の生涯は、お母さんの胎内での10ヶ月の生涯であり、第二の生涯は、生まれてからのこの地での生涯です。それから、最後の第三の生涯は、この地での歩みを終えた後に行くことになる死後の世界です。お母さんの胎内での第一の生涯の10ヶ月は、この地での第二の生涯を準備する時間です。同様に、この地での第二の生涯は、第三の生涯を準備する時間となります。第一の生涯は10ヶ月であり、第二の生涯は、80年、90年、長ければ、100年ですが、第三の生涯は、永遠です。

お母さんの胎内でうまく準備ができなければ、残念ながら流産ということもあります。本当につらくて、気の毒だと思います。同様に、この地での第二の生涯で、次に迎える第三の生涯をうまく準備できなければ、残念ながら霊的な流産という悲惨な結果を招くことになります。本当に気の毒なことでしょう。お母さんの体内で第二の生涯の命を準備したように、私たちは、この地上での第二の生涯のうちに、第三の生涯の命を準備しておかなければなりません。第三の生涯の命は、永遠の命です。

では、第三の生涯の永遠の命は、どのように準備するのでしょうか?

イエス・キリストを信じることです。

ヨハネによる福音書3章16節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

イエス・キリストを救い主として受け入れることです。そうすれば、私たちは永遠の命が得られ、第三の生涯への準備ができるようになります。この永遠の命が得られず、準備なしに、たとえ全世界を手に入れても、何の得もありません。全てを失ってしまうのです。

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