涙の賛美

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聖書の言葉

沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。あなたに満願の献げ物をささげます。

祈りを聞いてくださる神よ、すべて肉なるものはあなたのもとに来ます。

罪の数々がわたしを圧倒します。背いたわたしたちを、あなたは贖ってくださいます。

いかに幸いなことでしょう、あなたに選ばれ、近づけられ、あなたの庭に宿る人は。

恵みの溢れるあなたの家、聖なる神殿によって、わたしたちが満ち足りますように。

旧約聖書 詩編 65編2~5節

保田広輝によるメッセージ

賛美とは、全知全能なる神様をほめたたえることです。イスラエルには、『贖罪の日』 というのがありますが、この日にイスラエルの民は、一年の歩みを振り返り、すべての罪を 神様の前に告白しました。この日は、罪の重荷から解放されて、新しい一年を希望をもってスタートするための日でした。贖罪の日が意味していることは、イエス様の十字架による赦しです。

私たち人間は罪人です。でも、イエス様の十字架による赦しを信じる人たちは、神様は罪を赦してくださるお方であることを信じ、神様に信頼しています。罪人は、神様の義を受けなければ、 神様の前に出ることは許されませんが、イエス様の十字架を信じることによって、神様から罪を赦された人には、神様の臨在にとどまることができる大きな喜びがあるのです。

宗教改革で有名なマルティン・ルターは、このようなことを語っています。「重いこころをもたらす悪の霊は、憂いや嘆きや不安のこころによって追い立てられることはなく、神を賛美することによるよりほかないからです。賛美することをこそ、こころは喜びとするのです」

ちなみに、私は苦しいときほど、神様を賛美して、人生を喜ぶことは無理だ…と思っていました。そうして次第に、憂いや嘆きや不安のこころに支配されて、イライラして、現実から逃げたくなる。私はこの悪循環に陥っていました。

でも、神様を賛美すること以外に、苦しい気持ちから解放される道はないんだ…と感じるようになりました。苦しみを喜ぶのではなく、苦しみの中で神様を賛美できることを喜ぶのです。

私は、健康な人が当たり前にできることが何もできない不自由な難病の体なので、喜ぶことができない人生だと思われるかもしれません。私自身、人工呼吸器で延命するようになり、手の親指以外は動かせなくなって、常に介護してもらわなければ生きていけないほどに難病が進行してからは、しばらくの間、喜ぶことも、日常の感謝の祈りをすることもできませんでした。

でも、私は自分自身を拠りどころとしていたんです。何かができる自分、ひとりで生きていける健康な体を持つ自分、弱さのない自分、そういう自分を求めていました。だから、難病が進行して不自由な体になった自分はなんと惨めなんだ、何もできない自分は生きる意味すらない、と自分についての評価を自分でくだして、憂いや嘆きや不安のこころに支配されていきました。

でも、毎日のように聖書の言葉に親しみ、祈りの生活をしていく中で、人間が生きる意味は、自分や他人が決めるのではなく、自分を生かしておられる神様が決めてくださる、と思えるようになりました。

イザヤ書 43章1節には、「ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」という御言葉があります。

この御言葉のように、神様が生まれつきの難病の私を創造されました。そして、難病の人生を生きていきなさい、と神様が任命して下さったからこそ、私は生まれた時から難病の人生にチャレンジしているんだと思います。だから、難病の私も神様の作品です。難病の私は神様の失敗作ではないんですね。そうして、私に語りかけてくださる神様の愛を感じることで、平安に包まれる喜びを感じられるように変えられました。

死ぬまで続く難病の人生でも、苦しみのただ中にあっても、神様の言葉を通して自分を捉えていくことで、ありのままの自分を受け入れていけますし、神様がいつも共におられることを感じて、神様を賛美する喜びが湧き出てくるんですよね。

苦しみだけしか感じられないときは、絶望に打ちのめされるだけですが、このように苦しみの中から生まれる喜びがあれば大丈夫なんだと思います。

私は難病の人生を通して、支えてくれる人たちの優しさ、神様に生かされていることの感謝、自分に与えられた難病の人生を生きぬくという使命を体感できるので、難病の苦しみの中から、神様を賛美する喜びが生まれてきます。

また、今までは単純に『賛美とは、喜ぶこと』と考えていましたが、賛美のかたちはひとつじゃないと気が付きました。

苦しいときに、「神様…どうか私をお救いください。自力では憂いや嘆きや不安のこころに支配されてしまうばかりです。全知全能の唯一なる神様のほかには、私を苦しみから救うことのできるものはありません…」と泣きながら祈ることも、神様を褒めたたえる賛美なのだと思います。

だから私は、悩みの中にも、苦しみの中にも、嘆きの中にも、弱さの中にも、人間関係の間にも、すべての日々に、神様への賛美を置きます。いつも神様が共におられるからです。神様が私の人生を治めておられ、難病の人生でも神様のご栄光を輝かせてくださるからです。

喜びと涙の賛美を通して、神様が私を励ましてくださいます。苦しみの中でくじけそうになっても、神様が立ち上がらせてくださいます。そうして、生まれてきて良かったと、心から喜んで、神様を賛美することができるのだと思います。

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