消えなかった流行語

ラジオ放送 キリストへの時間のトップページへ戻る

西堀元によるメッセージ

今年もあと少しで終わりになろうとしています。あまり変化はない一年だったでしょうか。それとも、いろいろなことが起こった一年だったでしょうか。歳を重ねると一年はあっと言う間だと言われますが、でも振り返るとやはりいろいろあったように思います。皆さんはどんな一年だったでしょうか。毎年、年末になるとその年の流行語大賞が発表されます。発表された一覧を見ると、そうだった、そうだったと思うような言葉があります。

今日はずいぶんと古い話になりますが、およそ100年前にアメリカで流行った流行語を紹介させていただければと思います。『少女パレアナ』という小説をしっておられますか。1913年に出版されました。アメリカ西部の牧師の家庭にパレアナは育ちます。しかし彼女は両親に先立たれます。孤児となったパレアナは気難しいおばさんに引き取られます。でもパレアナはどんなことからでも喜ぶことを探し出す「何でも喜ぶ」ゲームで、おばさんのかたくなな心を溶かしていきます。やがてそのゲームは町中にひろがり人々の心があかるくなる。この本が出版された当時、「パレアナ」という名前が「底抜けの楽天家」という言葉として辞書に「パレアナ」という固有名詞として載るようになったほどだったのです。試しにわたしも自分のもっている電子辞書で調べてみると、「パレアナ」という言葉がやっぱり載っていました。だから「パレアナ」は消えなかった流行語の一つと言えるのではないでしょうか。

この小説の主人公は牧師の娘です。それでというわけではありませんが、小説の中に説教の準備に悩む牧師が登場します。この牧師は教会の中で何をやってもうまくいきません。役員同士のしのぎのけずりあい。婦人会の中のけんか。子どもたちを教える日曜学校では教師たちから辞表が次々にだされる。牧師は切羽詰まった状況をなんとかしないといけないと思ってあせります。そこで次の日曜日の礼拝の説教で「偽善的な律法学者パリサイ人よ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々を入らせない。自分も入らないし、入ろうとする人を入らせもしない」。恐ろしいことですが、人々を頭ごなしにしかりつけるような裁きの聖書の言葉から説教をしようと思ったのです。それくらい悩んで行き詰っていたのでしょう。

さて森の中で説教の準備をしながら彼は疲れて座り込みました。そこにパレアナがやって来ました。彼女は牧師に質問します。「牧師さん。あなたは牧師であることがあることが好きですか」。すると牧師は答えました。「どうしてそんな質問をするんだい」。パレアナは言います。「牧師だった自分のお父さんも同じような難しい顔をときどきしていたから。そんなときお父さんに牧師であることがうれしいのって質問をしたの。お父さんはうれしいと言っていたけど、聖書にもしも『喜びの句』がなかったら、一分だって牧師はできないっていいました」。牧師は驚きます。パレアナは言いました。「お父さんは、いつでもそう言っていました。喜びの句なって聖書にそういう名前がついているのでないの。でも「主にあって喜べ」「大いに喜べ」「喜び歌え」とか、本当に沢山ありますわ。お父さんが特別いやな気持ちのときに数えてみたら800ありましたって。そしてお父さんはその800に『喜びの句』という名前をつけましたの。神様が800回も聖書の中で喜べとおっしゃっているのは、わたしたちが喜ぶことを望んでいらっしゃるに違いなのですよ」。

パレアナは牧師だった父からゲームを教えられていました。そのゲームとはどんなことからも喜びを探すゲームです。たとえば自分は人形が欲しいと思っていた。すると慰問箱の届いたプレゼントが松葉杖の時がありました。もちろん元気な女の子に松葉杖は必要ありません。どこに喜ぶ理由があるでしょうか。でもパレアナは松葉杖をもらっても喜びます。どんな風に喜べるのでしょうか。それは自分は松葉杖を使わなくてもよいほど元気なことを喜ぶのです。パレアナはうらやましいほど、ものすごく前向きなのです。

彼女がいることで、町の中で頑固で心を閉ざしていた人たちもだんだんと変化していきます。あるとき足をくじいて家に閉じこもっていた偏屈な中年男性のところをパレアナはお見舞いに行きました。パレアナはそのおじさんの家で光を屈折させるプリズムを見せてもらって踊るように喜びました。太陽の光の中に虹のようなきれいな光があることを彼女は初めて知ったからです。踊るように喜ぶパレアナを見て、おじさんは涙をうっすらと浮かべます。孤独なその男性は言います。「お前こそ、わたしにとってプリズムなんだ」と。パレアナの存在は世界が美しいこと、喜ぶことができるものであることを知らせてくれる存在なのです。

さて、パレアナのお父さんが作った「喜びの句」とはどんなものだったでしょうか。聖書から作られたということですから、「喜ぶ」という言葉を注意して読んだら私たちも同じものをつくることができそうです。そして「喜びの句」に必ず入っていたと思うのは次の言葉です。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(フィリピ4:4)。この言葉を書いたパウロという人は「喜びなさい」と命令しています。何とパウロは牢屋の中からこの言葉を書いています。パウロも喜びを発見する名人だったと思います。どうしたらいつでも喜べるのでしょうか。私たちが世界の輝きを知るプリズムを手にすることだと思います。プリズムとは聖書ではないでしょうか。聖書をとおして世界を見る時、私たちの世界は輝いていることを知ることができます。

関連する番組